. 新世紀への視点【98/10バックナンバー】
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98/10/29(木) a 待たれる自由主義政党の台頭

ico_hand.gif (123 バイト)難産ではあったが、自民党と民主党の合意で金融関連法案は国会を通過し、旧国 鉄の債務処理法案は今度は自民、公明、自由党の連携で可決された。 ついこの 間までは全面対決姿勢を見せていたのに、急転直下協力体制が出来上がったこと について、「もともと各政党の基本政策には大差がない。 イデオロギー対立の 時代は冷戦終了とともに終わったのだから。」という解釈がある。 要はどの党 も自分の支持政党向けのポーズが取りたいだけで、表向き「市場重視の自由主義 経済と民主主義」を標榜していることになっている。

各政党が基本政策で一致しているならば、現在のような急を要する状況でもう少 しスムーズに政策が打たれてもいいようなものだが、実際は遅々として進まず対 策は後手後手にまわっている。 また特定問題に関する対応が同じ政党でも時期 によって二転三転したりする。 どうしてこんなことになってしまうかといえ ば、思うに「イデオロギーの時代は終わった」と言ううちに、各党が自らがよっ て立つ原理原則があいまいになってしまったからではないか。 結果自民党から 共産党まですべてが社民主義の枠内に収まってしまい、経済については大きな政策論争が起こらない状態になってしまっている。

こういうと、「自民党と共産党では全然政策が違うではないか。 自民党は金持ち、大企業、経営者の味方で、共産党は弱者の味方では?」という疑問が上がっ てくるだろう。 確かに自民党は銀行に公的資金を入れろと言うし、所得税の累進緩和や課税最低限の引下げをもくろむのに対し、共産党は銀行自身による不良 債権処理を言うし、低所得者への課税強化には反対である。 しかし、これは私 には社会民主主義政党の党内での対立のように見えて仕方がない。 共産党はさ ておき、自民党および自由党すらが自由主義政党とは言えない理由をそれが顕著 にあらわれる税制を例にとって以下に記してみたい。

まず自民党は戦後50年以上ほとんど政権の座について来たのに、未だこのよう な税制になっているということ自体が何より社民政党である証拠である。 ま た、消費税の持つ対所得逆進性について社民・共産党などに言われるがままに問 題視していることもその証拠である。  私はいくら自由主義政党でもまったく 累進税制や課税最低限を排除するべきだと言う気はない。 自由競争の結果に偏 りはつきものであり、社会制度として再分配がなければ早晩社会が機能しなくな ってしまう。 しかし、自由主義政党にとって再分配は「仕方がなく」そうする ものであり、あくまでるルールに基づく自由、自己責任が原則になるはずであ る。 

そもそもいくら所得が高い者でも、その半分以上を税金として徴集することを容 認するのは自由主義者とはいえない。 また仮に政治的理由で(本当は自民党の 説得不足であろうが)所得税の累進度をなかなか軽くしえなかったとしたら、何 とか他の分野(消費税など)で埋め合わせをしようとするだろう。 消費税が対 所得で逆進であるならば、それは所得税の極度の累進を緩和するための格好の手段である。 何税であろうと、税は税で、一つ一つの税が全て累進税になってい る必要などはない。 要はトータルで所得、資産に対して税が「適度に」累進に なっていれば再分配の機能は果たせることになるのである。 

しかし、現実は所得税のみならず、住民税までも対所得累進性になっている。  年金も給付に制限があることから実質的に累進的拠出となっていると言えよう。  健康保険もまた保険料が所得連動となっている。 他に低所得者に対するセー フティネットがほとんどないなら、まだこれだけ負担が所得に対して累進的にな ることは理解できなくはない。 しかし、現実には非課税世帯には他に公営住宅 および家賃補助や、児童手当、一部の医療費免除などかなりの公的援助が提供さ れている。 これでは「日本は世界でもっとも成功した社会主義国家」と言われ ても仕方がなかろう。 

もちろん、現在ではいかに自由主義といえども以前のような「貧乏人は麦を食 え」的な弱肉強食の競争社会を標榜するわけではない。 機会均等最低限の生 活をできる限り保障した上で、後はやる気と能力に応じた自由競争ということに なるのだろう。 当然「最低限保障されるべき生活」がいかほどのものであるか については意見の別れるところであり、本来であれば社民主義政党との間で激し い議論が繰り広げられるところである。 ところが、日本では現在の課税最低限 が明らかに「保障さるべき生活レベル」を超えているにもかかわらず、何の議論 も行なわれていない。 何十年もその議論すらないというのは自民党側に確たる 基準がないからといって差し支えなかろう。  この点については、「所得税半 減」一辺倒の自由党にも主張があるようには思えない。

以上税について自民党が自由主義政党ではないことを指摘してきたが、これは裁 量行政を見ても明らかである。 透明性のあるルールに基づくのではなく、どう やって決まるのかわからないお上の指導に従うように求められる。 または政治 家がでてきて「ここはひとつ、、」ということになる。 今回の公的資金導入で あってもまたも銀行に「自主的に申請する」ように「要求して」いる。 株価が 下落して困ると、PKO口先介入相場操縦を繰り返す。 こんな訳のわから ない政策(?)は自由主義のプレイブックにはない。

今後自民党と民主党を核にした2大政党制を期待する向きも多いようだが、民主党が社会民主主義政党であることを疑う人は少なかろう。 もう一方の自民党も 同じく社民政党ということではそもそも根本的な政策論議は起こらないだろう。  民主党/クリントンのアメリカ、労働党/ブレアのイギリスがうまくいってい るのは、自由主義政党である共和党/保守党の追及があるため、社民主義の陥り やすい大きな政府、悪平等などから逃れえていることを見逃すべきではない。  社民政党同志の選挙となれば政策論争はこれまでよりさらに些細なことが的とな り、どちらが国民受けするかを競うばかりとなるだろう。

投資家にとって、それは悪夢のシナリオといえる。 集票マシーンとなる一部の 企業をのぞいて、票を持たない法人はいつまでも不利な立場に置かれつづける懸 念が強いし、今のように投資に携わる個人が少ない状況では、労働組合の利益を はかる政党はあっても投資家を代弁する政党があらわれない可能性すらある。  自己責任原則は徹底されず、リスクを取ることが経済的に損な状況が続く中で日 本経済が再生するとは私にはとても思えない。 保々連合と言われようが何と言 われようが、自由主義政党が誕生して一翼を担うことが切に待たれる。


 

98/10/23(金) a NTTの自社株買いに疑問

ico_hand.gif (123 バイト)NTT DOCOMO上場に際して、親会社であるNTTが1200億円の自社株買いを発表した。 常日頃株主を株主と思わないような会社経営が多いことを批判している筆者は、自社株買いをする会社に基本的には好感を持つ。 しかしながら、今回のNTTに関しては首を捻らざるをえない。

今回のドコモ上場に先立ってNTTは54、500株のドコモ株を売り出している。 結果的に一株390万円となったので、これによって2100億円余りを得たことになる。 その半分余りを今回自社株買いにより株主に還元しようというものだが、果たしてNTTが今自社株を買うことが株主全体の利益になるのだろうか。

ドコモ上場による特別利益を控除すればNTTの一株利益は1万円程度であることから、一株100万円前後の価格でNTTが自社株を買うということは、益回り1%の株式に投資するということになる。 それならば2兆円をゆうに越える有利子負債の圧縮に利用するのが筋である。 とくに会社分割を控えているのだから、その前に少しでも財務体質を強化しておいてこそ分割後の経営にゆとりができるというものであろう。

これに対し、NTTは連結では一株2万円を越える利益があるので益回り1%という評価は間違っているという考え方もあるだろう。 しかし、連結で見るならばドコモの方が益回り(一株390万円で見た場合)も高いし、成長性も高いのではないか。 それでも敢えて「ドコモ株売り出し、自社株買い」の正当性を探すと、お荷物のPHSを押し付けて自らは身軽になり、ドコモの収益は悪化するからかと疑心暗鬼になってしまう。

これほど低い益回りの自社株を買うということは、基本的には市場にだぶついているNTT株式を吸収し、需給をタイトにし株価上昇を図ることが主な目的となるが、NTTの場合近い将来に政府保有株の放出が見込まれている。 一株100万円として、1200億円で買える株式数は12万株で、予定放出量の数パーセントにしかならない。 どうせ後で大量の株式が出てくるのなら、今この程度の株式を市場から吸収したとしても長期的な需給にはほとんど影響を及ぼさないだろう。

こうして見ると、NTTの自社株買いは当のNTTおよび株主にとってほとんどメリットがない。 にもかかわらずそうするのには、政府株放出に向けて株価を下支えできる合法的手段を確保しておきたいという政府側の魂胆が透けて見える。 少しでも高く、 少しでも多くの株を売り出す環境を整えておきたいのだろう。

国家財政が火の車である中その心境は理解できるが、公益株は本来「適正価格よりやや安く発行して、広く国民に長期で持ってもらうべき株」である。 またNTT株放出はあくまで政府保有株売り出しであり、新規公募増資ではないので、高い価格で株式を売り出すメリットが会社および長期株主にはない。 メリットを受けるのは政府と短期値上がりを目論む投機的株主だけである。 そのような目的で虎の子であるドコモの株式売り出しで得た資金を費やすというのは真の株主利益に適っていないのではないか。

自社株買いが会社・株主にとって有意義なのはまず財務体質が堅固な会社で、その上で 

1)高収益であり自社株に優る投資先がない(益回りが他の投資収益率を上回る場合)

2)株価が余りに安い(会社清算価格すら時価総額が下回るなど)場合

3) 1)と2)が両方それなりに当てはまるような場合であろう

(NTTの場合、前期末の流動資産1.43兆円に対し流動負債1.79兆円、自己資本比率は42.5%に過ぎないので、まず財務体質が堅固とは言えない。 収益性からも資産価格からも該当しない。)

上記のような「自社株買いが望ましい企業」は東証一部よりも二部、店頭株に多く見受けられる。 これらの市場を中心に売買されている投資家は持ち株が「どう考えても安すぎる」まま放置されている経験をお持ちだと推測する。 皮肉な事に、そのような企業に限って自社株買いをせずに現金を枕にのらりくらり経営していたり、危険な投資に走ったり、訳の分からぬ有価証券を買ったりしてやけどしたりしている。

あなたがもしそのような会社の株主であるならば、呆れて捨て値で株を投げ売りする前に、会社の経営陣に手紙を書くなり、電話をするなり、株主総会でその経営をとことんまで追求してからにしていただきたい。 一人や二人のうるさい株主なら無視することもできようが、それが十人、二十人と増えてゆけば中には自社株買いに踏み切るところも出てこよう。 くどいようで申しわけないが、理不尽な経営を改めさせるのは株主の権利であるとともに社会的な義務でもある

余談になるが、あり余る現預金を持ちながら大幅減配をする関西の経営コンサルタント会社の経営者、大量の余裕資金をエマージングを含む外債に注ぎ込んでいる北海道を本拠とするある学習塾の経営者 などは株主のしかるべき追求を受ければ安閑としていられないはずである。

 


 

98/10/20(火) a お金はどこへいってしまったのか。
(投資などに縁のない国民に問う)

ico_hand.gif (123 バイト)一連の金融関連法案が国会を通過し、その陰に隠れるようにして旧国鉄の巨額の債務処理法案(といっても大方は先送りなのだが)も成立した。 追って大型の補正予算や、年末にかけての99年度税制改正では所得税および法人税を中心とする大型減税がなされることが見込まれている。

不良債権の処理や、補正予算については赤字国債を大量発行することがなかば容認されてきたためその財源は問題となっていないようだが、旧国鉄債務減税については誰が負担(または収入減)を受け入れるかで押し付け合いが起っている。 端には無責任と映るかもしれないが、関係当事者が既に巨額の債務を抱えて借金づけとなっている現状からすると無理もない。

昨今東京都と大阪府がどちらも財政緊急宣言(?)をするに至ったが、大企業が集中し財政にゆとりがある方の2団体がこの現状では、のこりの地方公共団体の財政状況は推して知るべしである。 中小企業への公的補助を要求する声も高いが、提供側の自治体自体が破産寸前であるので、減税や融資など「協力したくともできない」のが実情だろう。

一方民間へ目をやると、銀行の貸し渋り資金回収ぶりに非難が集中している。金融・不動産・建設などいわゆるバブル業種だけではなく、いたるところで財務内容が悪化し苦境に陥っている企業が多いだけに「銀行恨めしや」となるのだが、実際は金のないもの同志が「貸せ(返せ)」、「貸せない(返せない)。」とやりあっているだけで、銀行はいかにも金を持っているように見えるがそれは他人の金を預かっているからで自分の元手はほとんどなくなっている

というわけで、今は国にも地方公共団体にも銀行にも一般企業にも金がない。正確には金はあるが、自分の金でなく借りた金がほとんどで、返す事を考えるとおいそれと使える金がないということであろう。 しかし、バブル企業ならともかく、その他のこれだけ多くの分野においてバブル好況から8年でどうしてこれほど金がなくなってしまったのであろうか。 またその金はどこへいってしまったのであろうか

結論から先に言えば、国や企業の金は国民の預貯金や生保・簡保を中心とする貯蓄になってしまったのではないか。 こういうと、「私たちはそんなに多くの給料をもらってはいない。 会社や行政のコストが高いから財務状態が悪くなったのだ。」という反論があるだろう。 しかし、バブル崩壊後土地をはじめとして物的コストは下がる一方であり、コスト高は非効率過報酬によるところが大きいのではないか。 また非効率の多くも結局は人的コストの過剰により高コストとなるのではないか。

これだけでは「資本家の勝手な主観」とのそしりを免れないので客観的なデータを付け加えるとする。 日銀発表の資金循環速報によると、今年6月末の非金融法人部門金融資産残高379兆円に対し、金融負債残高は903兆円に上っている。 これはバブル崩壊開始と現在の中間点にあたる94年末の資産366兆円:負債726兆円に比べてかなり悪化している。 同じように公共部門の6月末の金融資産は215兆円に対し負債が539兆円。 これも94年末の資産178兆円:負債391兆円より大幅に悪化している。

これに対し、個人では6月末の金融資産1240兆円に対し、負債は321兆円
94年末で資産が1131兆円:負債305兆円であるのでこの3年余りで資産が110兆円あまり増えているのに負債は16兆円しか増えておらず差引き100兆円近くの資産増となっている。 これは非金融法人の差引き160兆円あまり、公共部門の110兆円あまりの負債増と余りに対称的である。

*郵便貯金が財政投融資を通じて実際どうなっているか、また預金が貸し出されてどうなっているか、また生保の掛け金がどう運用されているかなど、個人金融資産のありさまがかなり怪しいことは筆者も認める。 しかしながら、今のところこれらはほぼ元本保証の状態になっており、預貯金や生保のなれの果てを考えて憂鬱になっている国民が多数派だとは思えないので、ここでは議論の外におくことにする。

住宅ローンの重圧感や、企業のリストラによる解雇、個人破産の急増などから特定の個人へのバブル崩壊の影響は極めて大きいことは確かであろう。 しかし、個人を全体で(国民として)見れば、法人や公共部門に比べてバブル崩壊影響は表面上極めて軽微である。 マスコミの報道に惑わされ「国民こそ被害者」と見て、「国や企業はもっと国民にやさしくあれ」と言うことは一件正義感あふれるように見えるかもしれないが、大局を明らかに見誤っている。 法人だから国だからいくら搾ってもかまわないというなら、一度かれらの台所事情を自分の家計に置きかえてみるがよい。

経済の現状がその供給能力に対して著しい需要不足となっていることから、当面マクロ政策として赤字国債を財源とした減税や公共投資も必要であろう。 しかし、それは一面では現世代がとるべき責任を次の世代に先送りしていることに違いはない。 年金の国民負担増や支給減の見送りも同じである。 本来現世代の資産に対してライト・オフされるべきものを、企業および国を介して次の世代に「飛ばし」ているのである。

現状は「本当は国民に負担させたいのだが、亀のように身を固めて消費を冷え込ませてしまうので、仕方なく負担を先送りしている」のである。 「バブルのつけを国民に廻すのが間違っているから」ではない。 バブルのつけは誰かが払わなくてはならず、それを先送りして頭から忘れてしまうような人々には不良債権処理を遅らせた役人や銀行員を責める資格はない
そういう人々のことを次の世代は心底恨み憎むことであろう。 不良債権をここまで膨らませてしまった人々の責任追及が必要なのは国民に溜飲を下げさせるためだけではない。 それは負担に対する覚悟を決めさせるためにこそ必要なのである。


 

98/10/14(水) a 会社を買うつもりで株を買う

ico_hand.gif (123 バイト)株式投資をはじめるにあたって、人は「いったい何を頼りに株を買えばよいの か」を考える。  配当利回りを基準にする人がいれば、株主資本利益率(ROE)を基準にする 人、株価チャートを判断材料にする人がいれば、仕手介入を狙う人など、その基 準は人により様々である。 

投資判断方法は星の数ほどあるが、それらは大きく2つに分けることができる。  一つは株価(および出来高)自体を判断材料にするテクニカル分析と、もう一 つは株の本質的価値がいくらあるかと考えるファンダメンタルズ分析である。   テクニカル分析については、HPでもコーナーもあるうえ、私が門外漢である こともありここでは言及しない。 これから触れるのはファンダメンタルズ(基 本)という名がついていながら、とっつきにくくあまり解説されることがない法 のアプローチである。

ファンダメンタルズ分析というと、PER,PBR,ROE,PCFR,B/S (貸借対照表),P/L(損益計算書),流動比率,自己資本比率などややこし い(実はそんなにややこしくないのだが)ことがらが頭に浮かぶ人も少なくない ことだろう。 たしかに、いきなりこういった指標から入ってゆけば頭がこんが らがるかもしれない。 しかし、それらはつまるところ「この会社にいくらの価 値があるのか」という簡単なようで至難な答えに自分なりに辿り着くための道具 にすぎない。 

「この会社はいくら?」と考えるときには、大きく分けて2つの見方がある。  この会社がすでにどれだけの資産を持っているかということと、この会社がどれ だけの収益をあげられるかということである。 (ここで言う資産は貸借対照表 の資産ではなく、資産の時価から全負債を差し引いた「正味資産」のこと) た とえば、会社が100億の資産を持っていながら、時価総額が50億しかしてい なかったら、その会社はいわば50%ディスカウントのようなものである。 ま た、会社が年10億円の利益をあげていて時価総額が50億なら、投資は5年で 元がとれるという風に考える。

実際は会社の資産がいったいいくらあるのか、また収益が今後どう変化してゆく かなどはかなり不明確であるし、資産面からと収益面の双方で価値を考えること も多いのでそう簡単には行かないが、稀に「この会社をX円で買うことは割に合 うか」の答えが自分なりにはっきり出ることもある。(この判断が常に正しいと は限らないが) 上場・公開企業は何千もあるのだから、1%にはっきりした答 えが出るだけで数十もの売買対象企業があることになる。

よく、「この株のフェアバリューは1000円である」というようなレポートが 出たりするが、こういう表現は眉唾ものである。  会社の清算価値を頼りにす る稀な場合を除いて、会社(株)の価値はそんな「」で捉えられるようなもの ではない。 同じ会社を保有するのに4%のリターンでよしとする人もいれば、 6%のリターンを必要と考える人もいよう。 これだけで妥当株価に50%の幅 がでてしまう。 フェアバリューなどというものは多くの場合「700円から1 400円」というように非常に広い幅でしか捉えられないものではないか。

こう言うと「そんな曖昧なことでは株の売買などできないじゃないか」と言う声 が聞こえてくるが、実際の掘り出し物はその幅の外側に存在すると言えないだろ うか。 たとえばあなたがディスカウントストアを経営するとしたとき、仕入れ の際に妥当価格すれすれで仕入れるだろうか。 この商品なら悪くとも400円、うまくゆけば600円で売れるだろうと思う 時、400円で仕入れはしないだろう。 余裕をもって300円程度までで仕入 れようとするはずである。 会社や株でも同じことで、自分なりの保守的に見積 もった価格よりさらに或る程度安い場合にのみ買えばよいのである。

プロのファンドマネジャーやディーラーでもない限り、株は好きなときに好きな ものだけを売買すればよいのだから、自分が好きな会社が、十分満足できる価格 になるまで網を張って待っていればよいのである。(これが欲のせいで言うほど やさしくないのだが)  ただ惜しむらくは、今の日本では会社の一部を買った からといって自分の好きなように経営できないことだが、実は多くの株主がこの ように考えて行動さえすれば、かなり希望通りの経営を実現することも可能なの が資本主義の制度なのである。

細かい経営方針にもなれば株主ごとに考え方は千差万別であろうが、反社会的で ない範囲で株主利益を極大化するということは本来全ての株主の願いであるはず なのである。 実際今の日本企業では社員のポスト確保のため採算に合わない子 会社をたくさん持っていたり、使うあてのない現金を持ったまま配当もしなかっ たり、利益を多く出すより社員に給与福利厚生費で払ってしまったり、やけに 豪華な本社ビルを建ててしまうようなケースが少なからずある。 このような会 社の価値は経営者次第で何倍にも成りえるのだが、株主の多くが受け身であるの で旧態依然とした低収益経営となっている。

もし株を買う人すべてが自分一人で会社を買うのだとしたら、ほとんどの人が 「無駄をはぶけ」「ろくに働きもしない奴にまで気前よく給料を払うな」などと 口うるさく言うだろう。 しかし、テクニカルで株を売買する人びとはもともと 経営に関心が薄いし、主にファンダメンタルズ分析により売買している機関投資 家も所詮人の金だからか、これまで経営に関心を持ち口を出すことをほとんどし てこなかった。 かくして株主は企業が活況なときにもあまり恩恵に与かれず、 経営破綻のときだけ責任を取らされる身分に落ちぶれてしまった。

今の日本経済はどん底であるが、日本企業の売上高は会社の時価(株の時価総 額)に対してかなりの高水準にある場合が多い。 また収益は低迷していても、 資産はかなり持っている会社も中にはある。 一人でも多くの株主が会社を自分 のものとして利益の極大化を求めることにより、経営陣に不稼動資産を処分し株 主に分配させたり、潜在的価値を顕在化させ会社の価値を高めることができるよ うになるのではないか
  またそのように株主を自分たちや社員と同等以上に 扱うことのできる経営陣を選ぶこともオーナーの権利である。 権利主張するた めにも、一度会社の本質的価値について考えてみてはいかがだろうか。


 

98/10/08(木 a 経済政策は投資促進策に注目

ico_hand.gif (123 バイト)Mr.Market の気まぐれは相変わらずで、昨日はとくに目新しい材料が 出たわけではないのに為替は急に円高に振れて、株は急騰した。 欧州で協調利 下げが現実味を増し、日本での自民・公明連携による公的資金による資本注入お よび大規模な財政出動の可能性が高まったからなどと言われているが、どちらも 株式市場の下落が続けば早晩必然的に出てくる政策であり、それを理由にするの は「株は下がったから上がった」と言うようなものである。

欧米での利下げが株価の下支えになることは確かだが、日本の経験から利下げが 株価下落を防ぎきれるかというと疑問である。 要は利下げによって景気の落ち 込みを一時的なものにとどめられるかであるが、それは多分に日本および東南ア ジア、中東欧・ロシア・中南米などのエマージング経済の先行きに影響される。  欧州などは比較的経済が自立しているというものの、その中核となる金融機関 は昨今の世界的混乱で相当影響を受けており、他地域の混乱からシールドされて いるとは言えまい。

東欧・ロシアがどうなってゆくかについては私は十分な知識を持ち合わせていな いし、日本への経済的影響も比較的小さいのでその他の地域について見てみる と、中南米は基本的にはアメリカ次第であるが、今回のアジア発の混乱が飛び火 したことを考えると、アメリカと同時にアジア経済の安定が中南米経済の安定に 寄与すると考えられる。 そしてアメリカにとってアジア市場がかなりのウェー トを占めることを考えると、やはりよく言われるように日本および東南アジア経済がこれからの世界経済の行方を占う鍵であると言える。

さてアジア経済であるが、それが苦境に至った直接の原因は投機的資金を含む外 資への依存とその引き上げであるが、それを間接的に招いたのは円安および日本経済の低迷である。 よって今回のG7でもそうだったように日本には明らかに 内政干渉といえる注文が相次いでいる。 確かに内政干渉ではあるが、日本が海 外に与える影響を考えると日本問題は或る意味では彼らにとっても内政問題と言 える。 というわけで、株式市場も危機的な水準にまで落ち込んだことであり、 日本が何らかの政策を取ることは必然的であった。

そこで問題は日本が取ろうとしている政策が有効であるかとうかである。 7兆 円を超える減税と10兆円規模の補正予算がささやかれているが、7兆円の減税 は先に行なわれた消費税率アップ・医療費負担増分を相殺するに過ぎないし、大 型補正予算はこれまでにも何度か行なわれたが、景気浮揚効果は一時的に過ぎな かった。
「それは金融機関の不良債権処理が遅れていたからだ」と言うが、不良債権処理 の遅れは需要にはそう影響しない。 境界的企業が存続し、潜在的失業者がまだ 働いて給料を得られてきたのであるから、最近貸し渋りが顕著になるまで不良債 権処理の遅れが直接景気の足を引っ張ったとは言えないだろう。 

ここが株式投資向上委員会であるからこういうのではないが、私は日本の景気低 迷の根源には投資収益の悪化/株安だと思っている。 バブル崩壊以降景気はい つも株価に先導されてきた。 株価は景気に先行すると言うが、少なくとも昨秋 以降はどう見ても株価が景気を左右したと見るのが自然である。 消費と設備投 資が景気の鍵だとよく言われるが、株安は心理的にその双方を冷え込ませた。  消費は正直言ってモノがあふれ環境問題がクローズアップされ、人口が停滞しつ つある今日では情報・サービス分野以外あまり大きな伸びは期待できない。 こ れに対し、消費の量はふえなくとも質が変化すればそれに対応した設備投資が行 なわれる。 問題はその設備投資が果たしてペイするかということである。

日本株を長年追いかけているか、外国株を見ている人はよく御存じだろうが、日 本企業の自己資本利益率(ROE)は近年極めて低い。 2−3%というのはざ らである。  またよほど特殊技術を持っていない限り、新規分野が有望である とわかると多数の企業がどっと参入してくるので、すぐに利幅が薄くなってしま う。 結果として設備投資はするが大したリターンを得られないという状況が続 いている。 投資に関するリスクが久方ぶりに十分認識された今日、設備投資意 欲が起こるには期待収益が高まらなければいけないが、雇用・賃金カットによる 大胆なリストラが社会的になかなか受け入れられないなら、人工的に投資収益を 上げてやるなり、投資をすることが投資家/企業にとってメリットになるように してやる必要がある。

ということで前置きが長くなったが、これからの経済対策の成否はこの投資分野 でどれだけ投資促進・収益向上を図れるかにかかっている。 このうち法人税減 税は成りそうだが、20万円まで消耗品扱いであったものが10万円までに引き 下げらたことは明らかに身近な設備投資意欲を減退させたし、近い将来見込まれ る社会保障費の企業負担増大は予想投資収益を低下させる。 個人の株式投資の 損益は給与所得と合算できないし、過去および将来の利益とも先物・オプション の損益とも相殺できない。 配当の二重課税の問題も解決していない。 そもそ も政策的に配当は預金等にくらべて軽減税率が取られてもよいのではないか。 

また設備の償却期間を従来より短く取ることを可能にしたり、不稼働資産の一括 償却を早めに認めるなどにより優良企業の投資意欲は高まるだろうし、(より幅 広い)特定分野への投資には補助を出すなり一部を税額控除にするなりすれば収 益は高まるだろう。 また持ち合い株式を安値でたたき合うかわりに株式の相互消却を認め、みなし配当課税の適用外とすれば資本効率はかなり向上するだろ う。 これはかなりの税収減となるだろうが、商品券を国民一般に配ったり従来型公共投資を行うよりははるかに景気浮揚効果があるのではないか。

Mr.Marketはなかなか細かいところまで気を配ってはくれないが、直接・間接株式市場の行方を左右する投資関連の政策がどのように出てくるかをわ れわれは注視してゆきたいものである。 同時に機会があれば微力であってもそ れらの政策の重要性を説き、実現を働きかけることもわれわれの役割である。


 

98/10/06(火) a Mr.Market

ico_hand.gif (123 バイト)日経平均はついに12000円台に突入した。 世間でバブル期と見做されてい るのは1986年からであるから株価は完全にバブル以前の水準に戻ったことに なる。 ちなみに1985年の株式相場は12000円台で長く保ち合ったの で、もっと早く95年の株価下落の際にこの水準まで下がるのではないかと思っ た人は多かった。 とくに都市銀行については80年代なかばの500円−10 00円の水準には下がるであろうと私は確信に近いものを持っていた。

株価がこの水準まで下がれば、当時でも銀行の保有株の含み損は多額に上り、土 地・株などの含み依存の経営はもはや続けられなくなり、抜本的な不良債権処理 への着手を余儀なくされると考えられた。  逆に言えばそれは催促相場で、催 促されている本格的な不良債権処理が行なわれなければ株価回復はないだろうと 私は考えた。  不良債権を本気で処理するとなれば、相当の自己資本が費やさ れる上、一旦処理にめどがつき金利上昇局面となれば業務純益も減るだろうと考 えた。   しかしながら、現実は総合経済対策という単なる大型の景気刺激策が出たのみで 不良債権処理は先送りされた。 それにもかかわらず銀行株を筆頭に株は急速に 値を戻し、しばらくのちに株の含み損はとくに体力の弱い金融機関を除いてさし たる問題ではなくなってしまった。 当時も下げの過程では市場は悲観に包まれ ていると言われていたが、なに随分楽観的な見方が市場を支配していたのであ る。  回復する銀行の株価だけを見ていると、本当に銀行界の言うように不良 債権の処理は山を越えたのではないかと錯覚を起こしかねないほどであった。

96年末から97年初めにかけて、また97年後半からの下げも不良債権処理へ の政府の重い腰を上げさせることはできなかった。 出てきたのは自己資本への 土地の含みの参入や、株の原価評価容認、および一行一律1000億円の資本注 入という貸し渋り対策だけでやはり不良債権処理は各銀行に任され、体力のない 銀行にとっては実質先送りとなった。 それでも山崎拓氏の口先介入およびPK Oが効いたか、株価は小康を保っていた。 

橋本政権が倒れ、何もできないと誰もがおもった小渕首相がやはり何もしないと わかると、株価は奈落の底へと落ちはじめた。  デフレスパイラルや世界金融 危機などと最近になって新たに問題が生じたように言う向きもあるが、なに資産 デフレはもう8年は続いているのだし、価格破壊という言葉が一世を風靡したの も随分以前のことである。 問題が深刻化しなかったのは欧米の異常なまでの株 高に先導された好景気に伴って輸出が好調だったためで、それも昨年からのアジ ア経済急ブレーキにより先行きに暗雲がたれこめていたのである。  要するに 危機はすでにそこにあったのだが、多くの市場参加者はそれを見ようとしなかっ たのだろう。

さて、現在である。 10年物金利は1%を大きく割り込み、不良債権処理の重 要性は庶民のほとんどが知るところとなり、公的資金導入自体はもはや了解事項 でその導入の仕方だけが問題となり、法人税大幅減税はほぼ決定している。 金 融機関の情報公開は徐々に進み、上場・公開企業による自社株買いも徐々に増え ている。 大型の景気対策も予定されている。 外為法で懸念された個人金融資 産の急速な海外流出も危惧したほどではなく、国内に十分お金はある。 それに もかかわらずMr.Marketは悲観モードに入っている。

その同じMr.Market は80年台後半に長期金利が5%前後の水準で推 移する中、PER50倍PBR4倍もの株価水準にも「株式持ち合いなど日本 の特殊性」を理由に楽観ムードにあった。  Mr.Marketはほんの数年 前まで「店頭企業には小型成長株が多いので、上場企業に比べてPER/PBR が割高でよい」と気前がよかったが、今は「店頭企業は経営基盤が弱いのでリス クが高くPER/PBRが低くとも買えない」と悲観的である。  この春まで あれほど強気だった国際優良株への見方も今では180度変わってしまってい る。  

どうしてこういうことになるかと言えば、投資において過去はたいした意味はな く将来の収益こそ意味があると考えるからである。  投資判断が足下の収益ト レンドからはじいた将来の中期的な収益予想に過度に依存しているからである。  現代では過去10年の平均の数字よりも、今期・来期・再来期の予想成長率を 重視するからである。 フローという不確実なものをストックというすでにそこ にあるものに比べてあまりに重視するからである。(もっとも相場に動きを期待 する側にすれば、尺度が不確実であるほど相場変動は激しくなり投機機会が増え るので良いのかもしれないが、日本の投資家の多くが株式市場が賭場と化すのを 望んだわけではないだろう。)

多様な考え方を持つ多くの市場参加者がそれぞれの尺度を持ち独自に行動する方 が、皆が目先の業績や経済状況を尺度にして行動するより結果的にずっと安定し た市場を形成できるのではないか。 恐慌が来るか来ないかという状況下で来期の増益率を気にするよりも、経済が正 常化した時にどれくらいの収益性があるのか、資産にどれくらいの価値があるの かを考える方が有益ではないだろうか。  世界恐慌下で利益が出せる企業は限 られているだろうし、第一本当に恐慌ともなればあなたの財産も仕事もどうなる かわからない。  先物を売っていても、プットを買っていてもそれが恐慌下で 無事決済されるかはわからない。  お金を持っていてもそれがいつまでどれだ け価値を保てるかもわからない。 

どうせ何もわからないなら、Mr.Marketが悲観に暮れるときこそ、株 (会社)は買い時だと愚直な私は考える。 あと体を鍛えることも忘れてはなら ないだろうが。


 

98/10/04(日) a モラル・ハザード

ico_hand.gif (123 バイト)日本リースが会社更正法の適用を申請したが、長銀による債務免除が御破算とな った時点で遅かれ早かれこうなると思った人は多いと思う。 日本リースがどれ ほどの債務超過であるかは興味深いが、これまでの破綻企業を例に取ると資産の劣化債務の実態は事前の予想を大きく上回ることが多い。
  資産の劣化も債務保証やその履行は徐々に起こってくることが多いので、これは企業が実質的に 債務超過に陥ってから実際に行き詰まるまでかなりの期間が経過していることを示唆する。

会社が完全に債務超過に陥っていても、資金繰りがつく限りは倒産しないし、実 際ほとんどの経営者は新たな債務の履行が極めて怪しいと分かっていても自ら会社の幕を引こうとしない。 彼らは「まだなんとかなると思った」ということだろうが、冷めた眼で見ている傍観者にはとっくに勝負はついているのに起死回生を狙って悪あがきし、債務の山を高くしているにすぎないように写る。
  典型 的モラル・ハザードと言える。 

モラル・ハザードを起こしている側にもそれなりの言い分はある。 「債務超過 とわかっていてもまだ可能性があるうちに、社員をそう簡単に路頭に迷わすわけ にはいかなかった」という類のものである。 日本リースのような巨大企業のみならず、津々浦々の中小企業でもどうにもならないほど債務の山に埋もれた後に やむを得ず破産というケースは多い。 経営者たるもの、ちょっと経営環境が悪 くなったからといって会社解散、社員解雇というわけにはいかない風潮があるこ とは理解できる。 経営陣=支配株主という場合は債務超過でない限りいくら赤字を続けようと会社を続けるのもよいだろう。 

しかしながら、明らかに債務超過に陥っていたり、経営陣が大株主でない場合に は、少なくとも会社の存続は株主の利益とてんびんに掛けられるべきである。
   そしてその結果赤字を出しながら、債務超過転落の危険を侵しながらも営業をつづけようとするなら、その旨株主に図らねばならない。 また株主もそれを待つまでもなく、まず経営陣による事情説明を、ついで必要であれば経営陣の交代、そして回復への目途が立たなければ会社解散を決議すればよいのだ。 モラ ル・ハザードを取り除くことは株主の義務である

ところが、情報開示が悪いために株主が会社の変調に気づいた時点ではもう事態は取り返しのつかないところまで来ていることもある。 すでに実質債務超過と なってしまっているような場合では株主ももう失うものは失ってしまっているの で、逆にモラル・ハザードを助長する場合すらある。 社員も真実の暴露が失職につながりかねず、また粉飾の黙認が自分の将来の再就職などに悪影響を与えな いのであれば、それなりの給料が支払われている以上事を荒だてることなく会社にぶら下がっていようということにもなる。 こうなると経営陣・社員・株主の利害が事実隠蔽・会社存続で一致し、結果的に取引先や社会へのコストが増大し てしまう

こうして今日本ではいたるところで存続すべきではない企業が十分なチェックを受けることなく存続し、他の企業や社会へ打撃を加え続けている。 倒産時に多額の債務が不履行となり取引先に迷惑をかけるという直接的な影響に加えて、善良だが苦境にある企業に対しても人びとを疑心暗鬼にしたり、金融機関の貸し出 し能力をそぐという間接的影響も無視できない。 この手の不良企業がある程度 淘汰されない限り、信用も投資も拡大しないだろう。

これに対して、「どのような企業でも雇用や生産活動に貢献しているのだからむやみに潰すべきではない」との意見もある。 しかしこの場合雇用は(潜在的) 社会コストを増す形で維持されているのであるし、今は社会全体として大きな需給ギャップが存在しているのであるから、よほど特殊な製品(サービス)を提供 していない限り、当該企業の生産が減ること自体は大した問題ではない。
  問題は、淘汰されるべき企業に物・サービスを売っている企業をどうするかということであろう。

この際たる例はゼネコンの下請け企業であろう。 特定の元請け企業に売上げが 集中している場合、元請けの倒産は下請けへ、またその下請けへと連鎖する。  それゆえ、ゼネコンの場合よほどひどい内容であっても会社更生法が申請され、 村本建設などは更生法が適用となり債務はほどんど帳消しとなり再建されること となった。 しかしながら、このような処理が続けばまだ健全な建設業者はあちこちで不良債権を抱えかねないので慎重な姿勢をとるようになりますますゼネコ ンの資金繰りは悪化してしまう。
 このため公共事業に関しては公的なセーフテ ィネットを整えようという動きが出てきたようだが、それを民間の建設事業や建設以外の事業にまで広げるためには業界全体の努力(負担)が必要となるだろ う。 

モラル・ハザードを起こしているような企業の破綻による社会的影響を食い止めるために、まっとうにやっている企業が大きな負担を強いられるようであれば、 それは経済全体のさらなる地盤沈下を招く恐れが強い。
  また巷間でささやか れるゼネコン徳政令のように(間接的にであれ)公的負担により問題解決を図るにも、まず経営陣・株主・社員のモラルが一定水準に達しないと国民の理解は得 られないだろう。 そもそも彼らがモラル・ハザードを起こしているから問題が発生していることを考えると徳政令が国民的理解をえることは不可能に近い。 (だからこそ一般的債権放棄をうたった法律を作るのだろうが。) 仮に国民を脅したり、その目をごまかしたりして徳政令を実現すれば(建設業界に限らず)、モラル・ハザードは公認されたようなものである。

しかし、もう一歩引いて見てみると、果たして日本国民自身がモラルを云々言う 立場にあるのかという疑問がある。  これだけ短期間にGDPに匹敵する公的債務を築いた現世代がそれだけの価値のある資産を次の世代に渡せるかは疑問で ある。 これ以外にも年金でも現世代への支給水準を維持する結果、資産枯渇状 態で次世代に引き渡すようだと、現世代自体がモラル・ハザードを起こしたということにもなりかねない。  一国民の立場からモラル・ハザードを起こした企業の経営者を批判することはたやすいが、自分がもし経営陣の立場だったら、また自分がその会社の社員/株主 であったと考えて、それでも早期に会社清算を提言できるという人がどれだけいるだろうか。

国民が好むと好まざるとにかかわらず、不良債権の処理および経済再生のために は何十兆円という公的資金(将来世代の税金)が投入されるであろう。  それ が実りあるものとなるか、捨て金となるかは制度の優劣もあるが、根本的には国民がそれぞれの立場でどれだけ自分に厳しく振る舞えるかにかかっている。 有権者としてモラル・ハザードを助長しないシステムを築き、経営者として株主および社会に説明のできる節度ある経営をし、社員として債権者の犠牲の上に給料を貰うことを潔しとせず、株主として自己の利益とともに社会的な利益も意識した上で経営陣を監視・発言する。  

私を筆頭に、人間は利己的な動物であるので皆が完全にモラルな存在として行動することは現実的には期待できないし、それゆえモラル・ハザードがなくなるな どということはないだろう。 また実際度が過ぎても水清くして魚住まずという こともある。 しかし、常日頃他人(特に官僚・政治家)に要求する半分の水準 でもモラルを持って皆が行動できれば、現在の問題程度は解決可能なはずである。 ただ1200兆と言われる金融資産およびその他の国民資産の実勢価値は 相当目減りしているいるだろうが。


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筆者
藤澤暁夫

個人投資家

コーナー説明
MLや掲示板でもお馴染みの、個人投資家藤澤さん、待望のコラム!

BackNumber
98/09