新世紀への視点

筆者:藤澤暁夫
内容:MLや掲示板でもお馴染みの個人投資家藤澤さん、待望のコラム!。

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98/11/25(水)「葛藤(強気それとも弱気?)」

◆NTTドコモ上場にむけての環境づくりと言われた上げにはじまった今回の相場は、ついに日経平均で15000円を突破した。 相場の転換点では常に弱気と強気が交錯するとは言われるが、株価の中長期的見通しについては今意見は真っ二つに別れているようである。 実際は結果はひとつであり、双方が正しいなどということは有りえない訳だが、バブル崩壊後今ほど双方の見方に言い分があるということはなかったように筆者には感じられる。 そこで今回は自分なりに強気・弱気双方の見方を並べ、今後の相場を考える参考にしてもらえればと思う。 

まず、弱気の大きな源は実態経済の悪さである。 ここに至るまで銀行の貸し渋りは改善せず、今年に続いて来年もマイナス成長が濃厚となっている。 企業収益も今期は稀なほどの大幅の減益となっている。 企業倒産は高水準であり、失業率もじりじり上昇し、消費マインドの改善は簡単には見込めない状況である。  そればかりかバブル崩壊と価格破壊にはじまったデフレはさらにその勢いをまし、反転が容易ならざるデフレスパイラルに落ちいっている可能性が高い。

経済のファンダメンタルズが最悪なのに加えて、相場をとりまく需給環境も持ち合い解消売りのために悪い。 もはや不稼動資産を持つ余裕を失った多くの企業は巨額(数十兆円分?)株式を売って財務体質の強化に走ることが予想される。 銀行が株価に左右されない体質となるためには手持ち株式の大半を放出することが必要となるだろう。 この株式供給額は今後数年の買い需要に対して余りに大きい。

足下が悪いのみならず、日本経済は先行の見通しも立たない。 あの手この手を使って大手銀行の債務超過・破綻をなんとか防いだものの、不良債権や不良企業および不良社員の抜本的整理は進まず、単に銀行やゼネコンのバランスシートから国民のそれに不良資産を付け替えているだけである。 バブル崩壊後何度も行い効果がなかった従来型景気対策を続け国債の山をきづいてきたが、一向に景気回復のきざしは見えず財政政策はいつまでたってもやめられない。 結果として構造改革が進まないし、財政も破綻する。 行き着くところはトリプル安(株・債券・円)である。

加えて海外の動向も非常に不透明である。 アメリカの度重なる利下げで海外市場は急反発しているが、ここしばらくはアジアはマイナス成長である。 その欧米実態経済への影響はじわじわと出てくる。 以下に金利低下余地があるとはいえ、減益下で株価が上がり続けるのには無理があるし、暴落の可能性すら小さくない。 アジアが本格回復にいたる前に欧米市場が崩壊などすればそれは世界恐慌を意味する。 また日本が公定歩合を0.5%まで下げたことからアメリカにも同様な金利低下余地があるとの錯覚があるようだが、世界最大の債権国である日本と最大の債務国である米国では大きな違いがあり、米国への資金流入を止めずにできる金利引下げはあとそう何度もないだろう。

更に、企業の情報開示がでたらめである。  不良資産の償却・引当ては実際ほとんど企業の任意であり、保証債務の開示が義務付けられると今度は経営指導念書や債務保証予約というような訳の分からぬものが次々と出てくる。 年金債務も開示が不十分であり、古い企業では自己資本の何割もが年金債務に侵食されている可能性がある。 新しい会社では土地の含み損がいくらあるか分かった物ではない。 住専処理での銀行のように政治的圧力などで法律上負担する必要のないものまで企業が負担させられる場合もある。 こんな情報開示状態は投資には不適格である。

と弱気な見方には切りがないが、そろそろ強気な見方に移ることにする。

何よりようやく政・官・財界とも現状認識が実態と一致した。 悪いものを悪いと認識できただけでも以前とは違う。 それに比べて、何年も懸案となっていた不良債権処理に本格的に取りかかっている。 やり方に問題があるという指摘はあるが、つけは誰かが払わねばならず企業と国にその余裕がない以上国民負担となることに違いはなく、それは相場の行方にとってさほど影響しない。 それより不良債権処理およびデフレ解消にはいくらでも金をつぎ込むという政府の姿勢は為替と債券にはともかく、株式にはプラスであろう。 何よりゼネコンや商社など連鎖破綻の引き金となりやすい業種が公的資金を元にした巧妙なスキームにより保護されたことは低位株を中心に市場に安心感を与える。

他にも市場にとって明るい改革はいくつかある。 最近あまり取り上げられないが来年度からの法人税減税は大きな追い風である。 去年までの実効税率50%から40%への引下げは最終利益を2割持ち上げる効果がある。 これは半永久的に2割分下駄をはいていられるということで、それだけで1−2割株価が上がってもよいはずである。  最近にわかに現実味を帯びてきた確定拠出型年金は企業負担を軽くすると同時に将来の株式へ潜在需要を生む。 所得税の抜本的改革により株式投資に振り向けられる金額が増加するのに加え、株式売買手数料自由化と有価証券取引税の撤廃により株式売買コストが大きく下がれば市場は活性化するであろう。 個人の株式所有は下がる所まで下がっており、買いが先行することが予想される。

日本市場を他の市場と比べてみると、アジアの主要市場が安値から6−9割上昇し、欧米主要国でもこのふた月足らずで25−40%ほど上げている。 これに比べて日本は日経平均で20%足らず、店頭平均では10%ほどしか戻していない。 海外市場に過熱感はあるが、崩壊の危機感はうすれておりそれらの市場が一服すれば逆に日本への資金流入も期待できる。  調整に入ったのが日本が一番早いという点も、日本が不良債権問題とデフレ対策に本腰を入れて取組みはじめたとなれば海外勢には魅力的だろう。 

そして最近出てきた追い風が自民・自由両党の連携である。 日本国内のマスコミでは「イデオロギーの時代は終わった」「与野党には政策の違いはそれほどない」との意見が比較的多いようだが、市場関係者とくに海外では自分たちの理解できる考え方をする小沢氏および自由党に対する評価は高い。  連立の相手が経済音痴で企業、市場およびその参加者にタガばかりはめる社民から自由党に変わるのはコペルニクス的転回とも言える。 自由党そして以前の新進党は連立相手のためにいろいろカムフラージュしてきたが、唯一の自由主義(マーケット寄りの)政党である。 これまで自民党が主に土建業者および地方の農業および商工業者、社民が労働者および社会的弱者の保護の名のもとに一部の有能な企業および個人に大きなハンディキャップを付けやる気をそいできたが、それら社会的呪縛からの開放は80年代初頭のアメリカを彷彿させる。 

とこれだけ書いてきたがまだまだ理由づけには事欠かない。 同じような材料、例えば持ち合い解消をとってみても上記のように需給圧迫要因としてネガティヴに捉える見方と、市場の正常化およびM&Aを通じて資本効率/株主利益を意識した経営へのきっかけとしてのポジティヴな見方がある。 また政策などは政界の行方次第で流動的である。 客観的に見ようとすればするほど頭が痛くなるような状況である。

で自分はどうしているかと言えば、先月・今月とそれなりに買い越している。 それは強気の見方をしているというより、弱気シナリオが破滅シナリオでありそれを回避する有効な手段が見いだせないだけであり、それならば目につくほど割安な銘柄なら拾ってゆけばよいという極めて単純な行動である。 あと敢えて言えば政治の流れが遅いながらも市場にプラスの方向へ流れていると感じているからであろうか。 なんといい加減(よく言えばファジー)な姿勢であろうかと思うが投資とは所詮そんなものなのかもしれない。


98/11/15(日) 「税制について考える」

◆先日の弁之助委員長のコメントで「この国の異常さは過度の平等・平均志向にある」という一節があった。 筆者もこの平等志向が日本の活力を奪っている大きな原因だと思っている。 そして、それがもっとも顕著にあらわれているのが税制である。 テーマとして投資から少し離れるが、税制のゆくえは今後の市場の行方を占うことにもなるのでご容赦いただきたい。

さて、今の税制でいちばん問題なのはちゃんとした理念がないことである。 言い換えれば、「所得・財産のかたよりを少なくしながら、いかに多く税金を取るか」ということで税制ができてしまっている。  それなのに税制を改革しようとすると、べき論を抜きにしてすぐ根拠のない現状にくらべて「金持ち優遇」「大企業優遇」という議論になってしまう。 要するに「とりやすさ」「結果の平等」という怪しげな観点から、「余り税を払わなくてよい」というおかしな既得権ができてしまい、経済的に望まれる改革であっても既得権を侵す可能性があると大きな圧力がかかり遅々として進まないのである。

これが一番顕著にあらわれるのが土地/証券関連税制である。 バブル崩壊以降極度に低迷する不動産・株式市場を目の当たりにしても、不動産取得税登録免許税および有価証券取引税などは遅まきながら軽減されたものの未だ存在している。 キャピタルゲイン課税については、総合課税に移行するのにつれて結果的にというのならともかく、分離課税のまま強化しようとする動きがあるくらいである。  土地や株が動かないから公的資金まで導入して買おうという話まで出る時勢になんとそぐわない税制であろうか。 財政難もあるので撤廃とは言えないまでも、どうして時限的に凍結すると言えないのだろうか。

推測するに(というより確信しているが)そうできないのは大蔵省が財源を失いたくないからであり、金持ちである有権者より金持ちではない有権者を多く持つ政治家からすればそれが「金持ち優遇」と見られかねないからである。 しかし、「現状」をよく見つめてみれば財源もさることながら支出に問題があるし、異常に高い所得税の累進度課税最低限からも金持ちではなく「庶民優遇」税制であることはわかる。 今のように経済の大改革を行おうという時に、改革の方向性だけで財源不足/金持ち優遇と思考停止するのではなく、あるべき姿について論じてそれに対して現状がどうなのかと検討されるべきであろう。

政策当局全体が「平等の呪縛」にかかっている例に、消費税の持つ(対所得)逆進性を問題視する姿があげられる。 まず不思議なのは、私が上で括弧に入れた「対所得」の文字が巷ではほとんど使われないことである。 所得税が所得に関してのみかかる税金であるように、消費税は消費に対して「のみ」かかる税金である。 それについて「逆進」とだけ言う場合普通に解釈すれば「消費すればするほど税率が安くなる」ということになる。 しかしながら実際はいくら消費しようと消費税率は一定であり逆進的ではない。

それがなぜ逆進的だと言われるかといえば、消費税「額」をその人の「所得」に比べたとき逆進的になる傾向があるからである。 それならば、明らかに「対所得逆進性がある」というべきである。 ここで「対所得」が落とされているのがまず詐欺的である。 ついで、資産税、所得税、消費税などいろいろな税があるが、どんな名前がついていようと税は税であり、トータルでいくら税を払うかの問題である。 消費税が仮に対所得逆進的であるとしても、その税率が所得税率にくらべて低く、所得税自体が極度な累進になっている現状では所得・資産とも極めて少ない一部の層を除いては問題がないはずである。 そしてそれらの限られた層にたいしてはシビル・ミニマムを保障するという福祉政策で対処するべきである。

実際今でも相続税固定資産税などの資産課税をする場合にその人の所得や消費に配慮などしないし、所得課税の際にその人の消費・資産状況には配慮しない。 なのに、消費税だけを所得と当然のようにリンクするありさまは、税制に関する議論があるべき姿より既得権者による横やりにはじめから流されてしまっていることの現れである。 そもそも税によって整備される道路、水道などの社会基盤や消防、警察などのサービスやバスなどの公共交通機関は誰もが同じように使うものであり、所得が少ないから税を負担しなくて良いという考え方には問題があるのではないか。 

仮に所得税も消費税のように単一税率になったとして、10倍稼ぐ人は10倍税金を払うわけだが、だからといって彼は社会の恩恵を10倍も受けているわけではない。 受益者負担の原則からゆけば単一税率でも「持てるもの優遇」ではない。 ただ、社会秩序が保たれている恩恵を受けているとも考えうるので、人頭税のような均等税額と、消費税のような単一税率の中間あたりがフェアということになるのだろう。 しかしながら、能力の個人差そして運の善し悪しゆえにそのような税制では結果に著しい偏りが生じて社会システム自体がうまく機能しなくなる懸念があり、「やむを得ず」成功せる者に過分の負担をしてもらい所得・資産を再分配するという「必要悪」が累進税制であろう。 この「やむを得ず」と「必要悪」という認識がどこかへ行ってしまったがゆえに、税制論議は非常にゆがんだものとなっている。   

こう書いているからとはいえ、筆者は決して「貧乏人は麦を食え」とまで言うわけではない。 もし、企業と金持ちだけが税を払い、それで活力ある社会が維持できるのならそれも一案ではあろう。 しかし、現実はもはや能力とやる気があるものにとってすでに税以外の負担(足かせ)も十分重く、この上今のような税制をつづけてゆけば彼らの大半はやる気を失うか海外に活路を見いだすかのいずれかになるだろう。 その反面恐慌寸前とも言われる経済状況にもかかわらず食うに困っている国民はアジアの国々に比べてはもちろん、好調といわれる欧米先進国と比べても少ない。  庶民が気軽に海外旅行にゆけ、ブランド品で身を飾り、新品同様の自動車に乗ることはひとびとの理想(現実?)かもしれないが、歪んだ税制によって他人の負担のもとに身の丈以上のものを保障されることが当たり前だと思うようになっているとしたらそれは非常に不幸なことである。

多くの国民がこの国のゆくえをどのように望んでいるかを私は知らないが、とにかくあくせくすることなく、ゆとりを持って暮らしたいと思っているならば、資源の乏しさゆえ少子化が一巡するまで物質的な生活レベルは当然下がることになる。 都市計画の改善や仕事の効率化によって生活実感はかなり維持できるだろうけれど。 反面「もっと豊かに」と言うのであれば豊かになる原動力となる人・企業に対して懲罰的なほどの課税をするということは自殺行為である。 実際はある程度の豊かさがなければ環境問題にも都市再開発にも時短にも取り組めないので、ゆとりを持つにもある程度の活力を維持することが必要だろう。 もうそろそろ平等の呪縛から解き放たれてもいい頃であるし、それができなければ「まるごと沈み、国民全てが悲惨を共有」(弁之助委員長)することになろう。


98/11/12(木) 「史上最大規模の飛ばし」

◆金融安定化法案の成立や、長銀処理への着手、および大手銀行間の提携話などで金融不安は感覚的にはやや薄らいできたようである。そんな折りに筆者は「銀行が信用保証協会の特別保証を利用する形で、危ない債権の付け替えを行っている」という話を耳にした。自己査定で第二分類になっているような先への融資の一部を協会の保証付き貸出しへ移行させるというものである。信用保証協会の保証付きの貸出しはノーリスクの(超?)優良債権となるので、銀行が目の色を変えてこの特別融資枠に群がるのは無理もない。

この融資(中小企業金融安定化特別保証制度)は、金融機関の貸し渋りや融資条件の厳格化などに遭遇している事業者は完全な債務超過状態にでもなっていなければ無担保で五千万、担保付きなら二億五千万円まで借りられるというものである。また一千万円までなら無担保で連帯保証人も不要となっている。拓銀などの場合のように旧取引先金融機関が破綻した健全な貸出先の場合は三億五千万まで借りられる。「貸し渋りのしわ寄せは一番弱いところへ行く」とよく言われるが、この保証枠は零細企業/個人事業主にとっては小さいとは言えない。一息つけるだけのインパクトはあるだろう。

といっても、制度はあっても実際審査段階であれこれ注文をつけてなかなか貸さないのではないかという疑問もあるだろうが、私の取引のある銀行の支店では数十件の申請をしたがいまのところ却下された例はないそうである。また資金繰りに全く困ってないようなところにも銀行側から話が持ち込まれている例もあるようだ。中小企業といっても資産規模の大きい中堅企業では足しにもならない場合もあるかもしれないが、末端の零細事業主にはありがたい話である。本来非常にハイリスクな融資であるのに、無担保で五千万円が長期プライムレート+保証料(0.2−0.7%)で借りられるとならば、街金にまで手を出さざるをえないとマスコミ等で報道されている人々にとって大きな恩恵である。 政府は貸し渋りに「無策」というわけではない

今回の公的資金の投入に際しても、申請する銀行には中小企業向け融資を増加させることが義務付けられることから、国内での信用収縮にはとりあえず歯止めがかかるだろう。 銀行への資本注入には将来の国民負担につながると批判があるのに比べて、目先の景気にとってはプラスに働くこともあり零細業者への公的融資・保証についての懸念を見聞きすることは少ないようである。

しかしながら最初に述べたように、これら「健全かつ善意でありながら資金繰りに困っている事業者」(健全という言葉はそれ以下の表現に矛盾するようではあるが)への融資は銀行が抱える債権の中でもリスクが高く、査定では第二分類に属するものが多いだろう。 銀行はそういうハイリスクな貸出先への融資の一部を公的保証付きにすることができれば、中小企業向けの融資残高を維持しながらリスクを転嫁することができる。 通常であれば金利2%なりの上乗せが必要な貸出先へも公的保証があればプライムレートで貸すことができる。

これは一見結構なようで、実は壮大な灰色債権(リスク)の飛ばしである。 民間金融機関のリスク負担能力は極端に低下しているが、誰かがアップアップしている借り手に手を差し伸べなければ倒産が続出するということで、結局公的資金でリスクを被ることになる。 ちょっと考えればわかりそうなものであるが、意図的にかもしれないがこのルートの公的資金の棄損可能性についてマスコミはほとんど言及しない。 筆者が思うに、銀行に注入される公的資金よりこちらの方がずっと戻ってくる可能性は低いのではないか

政府は道義的責任として銀行に中小企業向け融資を迫りながら、その銀行が潰れず公的資金が返ってくるようにする必要に迫られている。 しかし、銀行が善意ながらハイリスクな事業者が望むままに、さしたる上乗せ金利なしで貸し出せば債権の質はいつまでたっても改善しない。 不良(および灰色)債権を直接公的資金で買い取ってしまう手もないではないがそれは非常に不評である。 それに比べ公的保証ならば実際借り手が破綻するまでは公的負担は表面化しない。 またよしんば多額の公的資金による補てんが必要となっても「困っている中小の借り手を助けた結果だから」ということで国民の理解も得やすいだろう。

もしも、信用保証協会や中小企業金融公庫がそれなりに借り手のスクリーニングをすれば、これは悪いアイディアではない。 しかしながら、彼らにはまず分別をもって審査をするメリットがない。 完全には死に体となっていないがまず見込みが薄い企業の場合でも、彼らなりの言い分でもって「貸し渋りだ」と政治家やマスコミに訴えられればやっかいである。 彼ら公的機関にとって貸し渋りのレッテルを貼られるリスクの方が、大義名分が立つ貸倒れのリスクより大きいのである。 また仮に厳しく審査しようとしてもそれに十分な時間も人員もいない。 かくして本当に生かされるべき借り手と淘汰されるべき借り手の選別は困難となる。

昨今の経済状況を考慮すれば、後の負担を考える前に当座の破綻を避けるべきだとの考え方もあるだろう。 しかし、費用対効果について十分考慮せずに「とにかく金を注ぎ込む」のなら、その金は最初から返ってこないものとして国民に覚悟を迫るべきである。
 倒産・失業のリスク軽減のかわりに自分に何の関係もない放漫経営のツケを被る覚悟があるかと問いかけるべきである。 モラル・ハザード防止は二の次三の次だと公言すべきである
 子供たちの世代の負担で自分たちの雇用・生活レベルを維持してゆくことになるのだと自覚させるべきである

旧国鉄処理の事実上の先送りや、予想される不良債権処理への郵貯・簡保資金の投入などできるだけ見えないところへ損失を飛ばし責任を回避する愚行は言うならば国家レベルでの粉飾である。 投資家であるわれわれは粉飾を認めるわけには行かないのである。


98/11/8(日)「投資指標のあれこれ

今回は誰もが目にするような基本的な投資指標について、その意味について考察してみることにしたい。「何を今更」という部分も多くなるがその辺はご勘弁いただきたい。またテクニカルな指標についてはCocktailさんのコーナーをご参照されたい。

PER(株価収益率=時価総額/利益=株価/一株あたり利益)

現在の株価はその会社の何年分の収益まで買われているかを表すのがこの指標である。PER20倍ということは現在の収益水準が続くと仮定すればこれから20年の収益で株価分の元がとれるということである。もっとも会社には現在も株主資本があるので、20年後の収益まで買うということではないのだが。このPERの逆数(一株利益/株価)が益回りで、これは現在の株価にたいしてその会社の収益が何%に回っているかを表す指標である。会社の収益性を示すのにはROE(後述)がよく使われるが、株は時価で買うのであるから現時点での株の高・安を判断するにはROEより益回りの方が優れている。

現在PERが高い、低いからといっても会社の収益が上下すればPERも上下するので、「低PERは買い、高PERは売り」とは単純には言えない。よく銘柄ごとに何年分かのPERの推移を見かけるが、むしろその会社の数年−10年の平均利益と今の株価を元にPERを算出した方が有益に思われる。この際、あまりに収益が不安定(循環的ですらない)な場合はPER分析の対象外になるだろう。10年程度の業績を平均化してPERを計算することにより、一時的な好・不況が会社の長期的価値に影響してしまうことを避けることができるようになる。逆に収益構造が変わってきているような場合には変化を見落とすことになってしまうので一長一短ではあるが、今のように不況に極みにある場合に状況が正常化した時の目安として参考にはなるだろう。

PBR(株価純資産倍率=時価総額/株主資本=株価/一株あたり株主資本)

現在株価が株主の持ち分の帳簿価格に対して何倍まで買われているかを示す指標である。これが1倍ということは会社の資産と時価総額が等しいということになり、言ってみればニュートラルな状態である。今後会社に利益が出れば株主の持ち分は増え、損がでれば株主の持ち分は減る。PBR2倍の株を買えば、今の株主資本と同じだけの利益を会社が将来に上げてはじめてトントンになると見做せるし、PBR0.5倍の株を買えば会社が多少の損を出そうとも自分が払った以上の株主資本が会社に残ることになる。

本来ならばこの指標は今のような相場下落局面では非常に有益であるはずなのであるが、残念ながら四季報・会社情報記載データを基にはじかれたPBRは実体を反映していないことが多い。これは一つに年金債務や保証債務などの簿外債務が反映されていないことにより、もう一つは資産の簿価と時価が大きく乖離するためである。この辺のところは時価会計の導入と情報開示の進展により近年かなり改善されることが予想されるが、今のところは個別に貸借対照表を洗い直し、予想年金債務を差引くというかなりアバウトな作業に頼る事になる。

したがって、PBRが低いというだけで買いということにはやはりならない。しかしながら、黒字企業で、資産の大半が流動資産であり、自己資本比率も高く、PBRが0.5倍以下で簿外債務の可能性も薄いというような場合は候補として精査するというような使い方は有効だと思われる。

ROE(株主資本利益率=利益/株主資本=一株利益/一株あたり株主資本)

最近とくによく目にするROEは、株主資本にたいし会社がどれだけの利益をあげているかを示す指標である。投資家は株主利益の極大化を望むだろうから、ROEは経営の優劣(経営効率)を示す指標であることには違いはない。他の条件が同じならROEは高いにこしたことはないであろう。

しかしながら、上の式をご覧になればわかるように、ROEは現在の株価とは無縁の指標である。したがって、現在の株価が500円であろうと1000円であろうとその会社のROEは変わらない。高ROE企業の株価は総じて高いので、高いROEだけを目安に株を買えば非常に割高な水準にある株ばかりを買ってしまう可能性がある。もちろん、今効率よい経営をしている企業はこれからも企業全般より優れた業績を残すだろうという推測はできる。が推測はあくまで推測であり、保証ではない。

ROEに関してもう一つの問題も上の式から理解いただけよう。分母が株主資本であるので、同じ利益をあげているなら株主資本が小さいほどROEは高くなる。もちろん、それが経営効率がよいということなのだが、あまり株主資本が小さいと効率は良くともリスクも大きくなってしまう。これらの弊害を避けるためにROEはPER(前述)と自己資本比率(後述)と合わせて見てゆくことが必要である。

自己資本比率(株主資本/総資産)

ROEとならんで株価に関係がない指標として自己(株主)資本利率がある。これは会社の資産のうち、どれだけが負債ではなく自己の資本によってまかなわれているかを示すものである。この比率は資金繰りとは直結しないが、これが40−50%以上あって資金繰りに詰まる会社もごく稀であることから経営の安定度をはかる大まかな目安にはなる。

自己資本比率が低い会社には長年のじり貧で自己資本を食ってしまい負債ばかりが多い限界的企業が多いが、成長途中で資金需要が大きい企業も含まれている。このような会社の場合、高いROEに加え利益成長率も高いので、PER・PBRとも非常に高い水準まで株が買われることがよくある。もちろん、後で利益がついてこればいいのだが、何らかの理由で減益にでもなればまさに梯子をはずされたような形になるので下値リスクは非常に大きい。

高収益・高株価の株はどれもそうではあるが、なかでも自己資本比率の低い会社の株はとくに業績の行方に株価が大きく反応しがちであるので、非常に目先の利く投資家やその会社の先行きに絶対の自信のある投資家以外には不向きであろう。とくに昨今のように信用不安が高まり、なおかつ景気低迷が長期化すると体力のあるなしは死活問題となる。業績悪で売り込まれても、1)株安から信用不安を引き起こし破綻2)長引く不景気で消耗した後に破綻3)景気回復までに体力をすり減らしその後の景気回復でも十分恩恵をうけられず4)分厚い自己資本で不況を乗り切り次の景気回復期に飛躍というパターンのいずれとなるかは経営の舵取りもさることながら自己資本のクッションの厚さによるところが大きいであろう。

ここまで4つの指標に触れただけであるがかなり長くなってしまったので、続きはまたの機会とさせていただくことにする。ファンダメンタルズとは「基本」のことである。以上はPERとかの字面はともかく、概念としては投資の基本の基本ということで頭を捻って考えずともすんなり使えるようにしておきたいものである。


98/11/1(日)「確定拠出型年金」

◆昨今401Kという言葉を耳にすることが多い。これにかぎらず、もっと分かりやすい言葉を使ってくれるといいのだが、なぜかいつもマスコミはうまいネーミングを思い付かない。確か401Kプランというのは、アメリカの税関係のコードから来ていると思うが、「確定拠出型年金制度」という名前が代わりに使われていることが多いと思う。

ご存知ない方のために一応簡単に説明すると、厚生年金など現在の日本の年金制度は自分で支払った年金の掛け金を将来に受け取るような仕組みになっていない確定給付型とよばれる今の制度は年金がいくら給付されるかがあらかじめ決まっているのだが、それは自分の掛け金が実際に運用されたものを後になって受け取るのではなく、それまでに払い込まれた保険料のプールから(プラス国庫補助で)その決められた額を受け取るしくみとなっている。給付額が決まっているので(実は先の事は政策次第でわからないのだが)「確定給付」とよばれる。

確定給付型年金の場合、掛け金と支払い額の関係は、人口構成と年金資産の運用利回りによって大きく変わってくる。今設定されている掛け金は、最近の低い出生率悪い運用環境も反映していないため、早晩年金が破綻するとの不安が強まっている。掛け金を引き上げるか、給付を押さえるか、給付条件を厳しくするか(所得・年齢制限)、あるいは運用利回りが改善するかしなければ事実早晩行き詰まるのであろうが、そのどの部分も政治的に手を付けられないのが現状のようである。

これに対し、確定拠出型年金では、自分で掛けた資金を運用した結果にしたがって、将来の給付額が決まってくる。自分で掛けた分+運用益を自分で受け取るので、制度として破綻することはないし、世代間の不公平も生じない。401Kプランでは運用益への課税繰り延べの他、この運用方法を個人が幅広く選択できるようになっているので、自己責任で年金を運用することができる。短期間に職場を移る場合でもそのまま持って移動できるので、能力有る若者にとっては非常に都合がよいシステムである。反面無鉄砲な運用をすれば将来ほとんど年金が受け取れなくなるし、分別有る運用をしても経済情勢次第ではいくら年金が受け取れるがわからず、老後の生活設計が難しくなる面もある。

このコラムをこれまで読んだことがある方なら容易に想像がつくと思うが、私は確定拠出型年金の登場を心待ちにしている。それは一部には筆者が現在の制度では「支払い<給付」となる世代に属していたり、現在の制度がいずれにせよ近い将来破綻すると考えているためでもあるのだが、一番の理由は一般国民と企業の利害が年金を通じて一致するという点にある。確定拠出型年金では企業がまずまずうまく行き、株がそこそこ上がり、債券が確実に償還されなければ国民はろくな年金を受け取れなくなる。

現在の日本社会では、実際長い目で見るとそうではないのだが、国民の多くと企業(および資本家)の利害はむしろ相反していると多くの人々に認識されている。企業悪玉論は受け入れられやすいし、利益何百億円などというと、その会社や資本の規模にかかわらず、「儲けすぎ、もっとメセナにでも励め」ということになる。株式市場の低迷についても、最近でこそ心配する声が増えてはきたが、「困るのは博打うち。わたしゃ関係無い。」という人も多く、実際最近の株価下落による銀行をはじめとする企業の巨額の株式評価損を見て「ざまあみろ」と思った人も少なくなかったのではないだろうか。また昨今のような経済状況下で、企業が業績が落ち込む中、更に企業年金の運用利回り低下からくる掛け金不足の穴埋めで四苦八苦していることも、他人事であるサラリーマンは決して少なくあるまい。

しかしながら、国民にを提供しているのは企業であり、また製品を提供しているのも企業である。税金だって社会保険料負担だって個人同様払っているのもまた企業である。企業は病気にならないし、年金も受け取らない。また、年金や生命保険の相当部分は株式や債券で運用されている。にもかかわらず多くの国民は企業に給料やボーナスを多く払い、非営利の社会貢献をすることを願うばかりである。昨今の経済状況を見るに、まず企業収益の向上が急務であるのは明らかなのに、選挙になると政治家はできるだけ企業向け政策を伏せて、個人所得減税などばかりを強調する。結果貯蓄はどんどん積みあがるのに企業は資金繰りに汲々している

確定拠出型年金の導入により、多くの国民が自分の年金原資の運用に関与すれば、今よりずっと多くの人びとが経済の仕組みについて理解するようになるであろう。有価証券取引税撤廃配当二重課税解消金持ち優遇の政策ではないということ、また法人税減税が企業のみならず国民全体の利益につながるということなど理解が進むのではないだろうか。またある大企業が1000億儲けるより、となりの小さな会社が1億儲ける方がよほど儲けているということもあるのだということ(資本効率)もわかってくるのではないか。会社は経営陣と社員が給料を得るための道具だという見方も変わってくるのではないか。何より「自己責任」の自覚が強まるだろう。

実際現在確定拠出型年金の導入が検討されているのは、一部の企業年金のみであり、厚生年金や国民年金などは所得移転など福祉としての性格も持つので全面的な移行はないと思われる。しかし、それらの公的年金でも国庫負担の分で最低限の給付を確保し、加入者負担の分を確定拠出とするようなやり方なら導入可能であろう。あとは国民次第なのだろうが、若年層にとっては現行制度が完全に「持ち出し」となるので、団塊の世代が年金受給者としての既得権を確立する前に確定拠出型制度を導入することのメリットは非常に大きいと言えよう。

国民への安心や福祉の充実といった観点から現在の年金制度の維持を言う政治家・官僚にはゆめゆめ騙されないようにしたいものである。