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【バックナンバー】 99/5/30(日)「たかが株高、されど株高」 景気先行指数が50%を越えたということだが、足下の景気は非常に悪いとの声が相変わらず多い。マンションやパソコンは売れているようだが、自動車などはひどい落ち込みが続き、小売店の売上高も落ち込んだままである。日本政府は99年度はプラス成長を公約しているが、実際それを信じる向きは少ない。にもかかわらず世間全般の景況感は最近なんとなく改善されているような兆しがあるし、企業業績も一時の下方修正の嵐から上方修正も結構みられるようになってきている。一部では銀行への公的資金投入と中小企業向けの信用保証が不安心理を取り除いたためとの指摘もあるが、それらが決まり倒産が急減した昨年末から今年はじめにかけては、まだ世間は悲観論一色だったような記憶がある。 堺屋氏のはったり(胎動)は別にして、景気の先行に明るさを感じる人がそれなりに出てきたのは、今春になってからである。そして今春といえば昨秋の世界同時株安が一応落ち着き世界恐慌の恐れが遠のくとともに、日本株が上昇に転じた時である。ある物事が前後して起こったからといって、それらに因果関係があるとは断じられないことは筆者も承知しているので、株高がすべての出発点であるということはあくまで仮説である。学術的な証明は無学の徒には無理であろうから、その是非の判断は読者の皆さんにお任せすることとして先に進むことにする。 話は1990年に遡る。1990年は日本ではバブル崩壊の年であり、米国では経済再生が進みはじめた頃である。当時日本(企業)脅威論が欧米に広がり、事実日本企業は活況な市場でただ同然で調達した資金を武器に世界を席巻する勢いであった。80年代末の株価が異常に高かったということは事実であろうが、その株高が日本経済にプラスに働いたことも事実であろう。ついその数年前まで成長鈍化が顕著になり、更に円高が加わってマイナス成長に転じても不思議ではなかった日本経済が労働力不足を真剣に論じるほどの活況になったのは株高のせいであろう。企業の資金調達だけではなく、民需高揚にも株高のもつ資産効果は大きく寄与したものと思われる。(惜しむらくは、株および土地高の程度が滅茶苦茶であったこと、および資産効果の結果人々の消費行動が成金趣味のごとくなってしまったことである。) 欧米は日本のバブル崩壊を胸をなでおろしながら納得して見ていたのであろうが、外からこの波乱の10年間を見ることによって、株価の実態経済に与える影響の大きさを改めて認識もしたであろう。実際87年のブラックマンデーが実体経済にほとんど影響を与えなかったことから、それまでは金融市場と実体経済は基本的に別(というか、市場は実体経済を映す鏡)と考えていた向きも多かったように思われる。日本のマスコミでは、バブル崩壊が日本的システムの敗北(誤り)と欧米システムの勝利(正しさ)のように捉えられたようであるが、筆者が思うに欧米はこの日本の繁栄と転落から市場が実体経済に少なからぬ影響を与えうるのであり、相場をある方向へ持ってゆくことにより経済状況をより少ないコストで改善できることを学んだのではないだろうか。 見方によってはこれは相場操縦であるが、株や債券はその上昇が持続可能である無理のない範囲であれば高いほど経済活性化・競争力強化に役立つということである。レーガン・サッチャー時代に現在の路線はすでに引かれていたとも見做せるであろうが、その後の民主党・労働党(および欧州のその他の社民政権)が経済面では必ずしもまだ経済が好調とまでは言えなかったにもかかわらず保守政党の政策をほぼ受け継いだことからも市場重視(株高推進)の効用はより広く浸透していたように思われる。最近日本のマスコミは、欧米企業のM&Aを機動的に利用したすばやい経営展開を感心することしきりであるが、その多くは株式交換(ストック・スワップ)によって可能となっており、さらにそれは株高に支えられている。米国企業の多くではPBR5−10倍の水準まで株が買い進まれているが、これは手持ち資金の何倍もの資金を必要とするはずの買収を最小限の借金で可能にするものである。もちろん、欧米企業の高いROE(株主資本利益率)があってこそ株高は持続可能となるのであろうが、失業率が高止まり(日本とくらべて)する中でそれほど高いROEが社会的に容認されてきたということは、欧米が基本的に階級社会であるということだけではなく、株高が投資信託や年金や「それなりの」景気を通じて広く国民全般に恩恵をもたらしているからではないだろうか。 どの国でも富裕層は一握りの人たちであり、いくら階級社会とはいっても普通選挙の国では「金持ちだけが得をする」政策を実行する政党は政権に付けない。欧米では株高は多数国民の共通の利益と見做されているのではないか。それに比べて日本では株は金持ちおよび怠け者の道楽、バクチというイメージが強く、バブル崩壊では「ざまを見ろ」との見方が世間では多かったのではないか。実際個人による株の直接保有は近年下がる一方で株価下落で直接打撃を被る人々は少ない上、生命保険および年金そして雇用までが株価に影響を受けるなどという認識はつい最近まで薄かったと思われる。何よりそれが明らかなのは、多くの国民および政治家(特にマスコミ)はバブル崩壊後経済問題こそが一大争点となるべき時に政治改革に明け暮れ、金融/不良債権問題などはつい最近まで選挙の争点にすらならなかった。 さらに、近年この不況が尋常ならざるものであるという認識深まってからも、それへの対策に株価への配慮はまったくといっていいほどなされなかった。(山拓氏の露骨かつダイレクトな株価対策は除く)市場活性化のためマクロでみればほんのわずかな額の有価証券取引税を撤廃するのに10年近くを費やし、法人税もにっちもさっちも行かなくなるまで高率で放置され、その傍らで消費税は上げ企業の社会保障負担を更に増やす、雇用調整助成金を増やすなど企業収益を圧迫したり、リストラにブレーキをかけたりすることを平気でやってきた。当然株価は低迷し、湯水のごとく金を注ぎ込んだ公共事業が行なわれながら景気は下降を続けた。 実際消費はまだ目に見えて回復してきていないのだから、まだデフレ・スパイラルから抜け出たと言うのは時期尚早であるが、先日のTV(サンデー・プロジェクト)での榊原財務官の発言や最近の経営者の言動を見ていると、株高こそ出口への第一歩であるとの認識がようやく広まってきたように思われる。実際これだけ消費が落ち込む中、企業がそれなりの業績を保っていることは、自らのリストラ・経費節減による収益改善と、それを反映した株高による株式評価損の減少の相乗効果が起こっていると思われる。また政治家や官僚が検討している政策もサプライサイドを重視(すなわち企業収益改善)してものが多くなってきている。国民から銀行や重厚長大型企業への利益移転といえる超低金利に対しても、政府・野党そして最近ではマスコミからも余り非難の声は上がってこない。 ジョージ・ソロスの再帰理論ではないが、東南アジアのこの数年の推移をみればいかに大きく株価と企業収益(実体経済)の相乗作用するか実感できるだろう。市場規模が小さく、現物しかなかった以前では市場のスランプはあくまで市場のみのスランプでありえたが、世界的に市場規模がこれだけ大きくなり、さらにデリバティブ市場がそれに輪をかける現在、相場をゆるやかな右肩上がりにしてゆく重要性は以前にも増して高まっている。たかが株高、されど株高。破綻寸前の財政状態にありながら少子高齢化社会突入を目前とした日本経済にとって、この株高は逃せば2度と来ぬかも知れぬチャンスである。(5/12) 99/5/2(日)「横並び体質(メーデーに逆らって)」 日本的経営の悪い点として、従来からよく横並び体質が指摘されてきた。採用、給与水準にはじまり、設備投資、M&A、株主総会の日時まで、業界内のリーダー数社がある動きをすると、それを見てぞろぞろと他の多くの会社が追随するというものである。横並び度は業界によって様々であり、金融界などはその際たるものであった。自由化後もしばらくはサービスや価格体系のみならず、公的資金申請までも当初は横並びで世間の失笑を買ったことは記憶に新しい。 不思議なことに、この横並びは株主(投資家)にとっておおよそ不利に働くことが多かった。中には価格カルテルなど違法な横並びもあり、それが収益底上げにつながったと見做せなくもないが、カルテルを結んでいた会社が高収益であったことは日本では珍しいくらいである。一旦ある商品がヒットすると皆がその分野に殺到するので、先行企業の利益も莫大なものとはならないし、後で群がった企業群は新規投資分を回収することさえ難しいことも稀ではない。また横並びで給料を上げられては低収益企業の株主はたまったものではない。雇用も横並びで増減すれば、新規雇用者の質は当然落ちる。好況時の求職者が不況時の求職者より押し並べて優れているなどということはないのだから。 日本ではまた、大企業が関連子会社を投資採算をなかば無視して設立して、本社で抱えきれない人員の行き先とすることも一般的であった。周到な例では子会社へ利ざやの大きい仕事を発注し、子会社に利益留保し天下り(?)先を確保するというような場合もある。また株主資本に対して大した利益も上げていないのに、社宅や福利厚生施設などの充実合戦にも余念がなかった会社も多いようである。今でも海、山、温泉などへ行くと、あまり有意義に利用されているように見えない会社施設がそこらじゅうにある。いずれの場合でも共通なのは、これらの横並び投資は経営者の自己満足や社員の利益にはなっても、まず株主に目にみえるリターンを還元しない投資である。 さて、バブルは崩壊し、各社はまた横並びでリストラに着手し始めた。「また横並びか」と溜息をつくなかれ。リストラに関する横並びは全産業的に株主資本利益率を向上させる大いなる可能性をはらんでいるのである。これからの日本のような低・無成長社会において、企業収益を大きく左右するのは経営効率そして労働分配率の変動である。これまでは労働組合、世間、マスコミの顔色を伺いながら多くの経営者はいわゆる「労働者にやさしい」経営で横並びしてきた。いくら収益を上げても、解雇・減俸などをするような経営者は人でなしだという雰囲気が企業経営者を支配していたように見える。しかし、昨年あたりからこの雰囲気がかなり変化してきているように感じられる。 まず、会社および社員のために(みづからの保身もあろうが)粉飾までしたものの破綻した各企業の経営陣が揃って逮捕された。表面上は違法配当であるとか有価証券報告書の虚偽記載などとされているが、何同じようなことは多数の他の企業もやっていることである。彼らが捕まったのは、ひとえに会社が破綻したからである。また株主代表訴訟が容易となり、経済合理性のない投資等による損失を経営陣自身が負担させられる可能性が出てきた。これによって、経済的合理性が企業経営者にとって最重要事項になりつつある。いかにも当たり前のことであるが、これまでは「重要事項の一つ」に過ぎなかった場合が多いのではないか。これは天と地との違いほどある。 結局今回のリストラブームは、1)企業存亡の危機(=日本においては経営者自身の人生の危機)に立たされた企業の中で、やむにやまれず解雇や減俸に踏み込んだ改革に着手するところが相次いだのを受けて、「解雇や減俸」といったタブーが破られたと感じる経営者が増え、2)株が売り込まれることにより破綻に追い込まれる企業の姿を目の当たりにするにつけ、株主利益を重視せざるをえないと自覚するとともに、3)機関投資家や外国人投資家および金融機関が経営に口を挟む機会が増え、説明のできる経営が必要となってきたことなどによって起ったと考えられる。もちろん、この流れがすぐ本流となるとは限らないし、マスコミや政治家などの余計な干渉が流れを変える可能性もあるだろう。しかしながら、これまで投資家にとって逆回転し続けてきた歯車が順回転をはじめたことの意義は大きい。 足元の景気が一向に回復してこない中での株式市場の堅調な動きは、過剰流動性や海外投資家の買いにもよるが、この「意外なる横並び」を好感したものでもあるだろう。また海外投資家が春先にこれほど一気に買いこした大きな理由にリストラへの期待感が含まれていると思われる。更に新規雇用を極端に減らしているところへもってきて年金債務の開示が迫っている。これは確定拠出型年金への移行を含む年金・退職金リストラをも予感させる。外国人投資家がこれまで日本企業に対して持ってきた不満に収益性の低さおよび資産内容の悪さ・不透明さがあるが、これらは主に横並び投資、労働分配率の高さ、過重な年金債務によってもたらされてきた。これらが同時に解消されてくるということになれば売上高は大きい日本企業は投資対象として魅力ありということになる。 もちろん、「横並びリストラ」が現実となればマクロ経済に与えるインパクトは極めて大きい。企業内失業者が数百万人にもおよぶと言われ、彼らの多くが本当に失業すれば企業負担はずっと軽減されようが、失業率は10%に近づき消費は沈滞するだろう。またそのような事態に近づけば、マスコミ・世論・政治家が騒ぎ、歯車を止めようとするであろう。しかし、金利や株価にもモメンタムがあるように、一度本格的な流れができれば、そう簡単には変わらないのも事実である。折りしも金融ビッグバンを目前に控え、経済グローバル化も一層進もうとしている。今日本に見られはじめた流れはこの世界の大勢に沿ったものであるだけに、紆余曲折はあるだろうが続くのではないだろうか。 そして、もしこの企業の収益性強化の流れが続くのだとしたら、マイナス成長を避けるためだけでも政府によるそれなりの財政出動/減税と、日銀による潤沢な資金供給が当分続けられる必要があるだろう。極端な減量をして目先少しでも利益をひねり出そうという経営姿勢には感心できないが、経営者は必要なリストラは雑音を気にせずどんどん進めるべきである。現在の株式市場は経営改革を織り込んでは来ているが、まだ半信半疑である。不景気の株高を実現し、構造改革のインパクトを全体として少しでも和らげるために、我々は「雇用の維持」や「企業の救済」といった後ろ向きの動きよりも、起業(および起業を魅力的にするための税制整備)や強い企業による新規雇用を促進するような政策を支持してゆきたいものである。 99/4/25(日)「正直者が馬鹿を見る」 昔から「正直者が馬鹿を見る」とこつこつ努力することが報われないことが多い社会を嘆く人はいた。社会の仕組みが時の権力者や金持ちに有利なようにできていたり、力が正義をねじふせたりして、真面目に律儀に生活する者たちに苦難が絶えないことをあらわして来たのだと思う。昔も今も世は理不尽なもので、正直者が馬鹿を見ることは多いのであろうが、さてこの「馬鹿を見た」正直者が「割を食った」体験ののち、どう振る舞ってゆくかに社会の行方はかかっている。 もし不正・不公平のせいで不利益を被った人々が、「やらなきゃ損だ」とばかりに自分たちも不正に走れば、世は更にすさぶことであろう。逆に「正直者」が馬鹿正直に自分だけを見つめ、「うまいことやる輩」を見過ごすならば、これまた悪はますます栄え困った世の中になるだろう。「水清くして魚住まず」とも言うが、ドブに住める魚は限られている。「無理が通れば道理引っ込む」「悪貨は良貨を駆逐する」とも言うように、ある程度正義が保たれねば世は住みにくくなる。 さて現在であるが、マスコミは銀行救済の公的資金導入に最初はけたたましく反対したが、昨年秋の恐慌前夜の様相に恐れをなし、雇用維持・景気回復のための政策とあれば寛容な態度に転換したようである。銀行にはビタ一文税金は投入しない、実質債務超過企業はすべて整理・清算するというのでは、それこそ清過ぎて人も住めない世になりかねないのであろう。しかしながらその後出現したのは、責任は全て後回しにした全社会的大盤振舞いである。当然のことながら、責任感のないものほどその恩恵の浴したことは言うまでもない。 その際たる例が中小企業支援のための信用保証である。「銀行の貸し渋りを受けているらしい」というだけで実質無審査で数千万円の低利資金が借りられるとあらば、すでに首も回らず将来への見通しも全く立たない状況にある企業の経営者でも飛び付くものは多いであろう。実際最近の報道では、もう実質破綻状態にある企業の経営者が融資を受けた上で夜逃げだとか、暴力団関連の企業などによる計画倒産などがかなり出ているようである。これでは真面目になんとかやりくりをつけている企業の経営者はたまってものではない。 もちろん、金を借りる側には借りる側の論理はあるだろう。多くの借り手は自分は真面目にやってきたのだが異常な経済状況の被害者であり、救済こそ正義だと考えることだろう。ましてや、銀行やゼネコンなどが実質大幅債務超過らしくとも、社会的影響の大きさゆえに存続を許され、株主責任さえあいまいなまま存続を許されているような現状を見れば、そう考える者が出てきても無理はないだろう。判官びいきという言葉があるように日本は歴史的に「苦境の中を微力ながらけなげに生きる」者に少なくとも心理的には共感を寄せる社会である。 問題なのは、救済の権利を自己申告制にすれば、それこそ「正直者が馬鹿を見る」ことにある。自分の行って来たことや今の境遇などを真摯に、正確に見つめる者ほど、安易に救済を求められないはずである。逆に物事を自分に都合よく考える者ほど、自分は当然助けられるべき存在であると主張するであろう。性善説を唱える人には耳障りであろうが、私は身勝手は人間の性でありそれ自体致し方ないと考える者である。問題は人間がそういう身勝手なものであるということを前提にしていない制度を作ってしまうことにある。平等、人権、福祉、いずれも保護を受ける側からすれば結構なことばかりであるが、その権利を所与のものとしたり自己申告制にすれば正直者が馬鹿を見るに決まっている。 こんな当たり前のことがなぜ政策当局者にわからないか疑問であるが、普通選挙の性質を考えれば理解できなくはない。人間が身勝手な存在であればあるほど、自分に都合のよいことを言い、都合のよいシステムを作ってくれる政治家に投票するだろうからである。既成政党にとって銀行やゼネコン、農協をばっさりやれば明らかに失う票はたくさんあるが、それを助けてその場を凌げばその分の票は失わずに済む。また商品券を配ることによって得られる票は失う票よりも多いだろう。福祉や地域振興もまた同じである。社会全体にとって、それも長い目で見て何がよいかを判断するのが政治家の役割であるはずだが、選挙民がそういう観点ではなく身勝手な見方をしておれば、まっとうな言動だけでは当選はおぼつかない。 筆者は一部マスコミが示唆するように「政治家は権力欲・金銭欲のかたまりであり、端から自分のことしか考えていない」とは思っていない。政治家を志すものの多くは少なくとも一般庶民並の志は持っていると考えるものである。筆者はまた、日本国民の大半が愚民であるとも考えていない。ただ身勝手なことを身勝手であると言う人間が、そして自覚のない身勝手を票に頼んで権利にしてしまおうという動きを防ぐ思想・システムが欠けていると考えるものである。制度は全て悪用されると考えて作られるべきである。 「それは理想であるが、普通選挙下では無理な注文である」との声もある。そうかもしれない。しかし、それでは日本は民主主義国家としては成長できないということであり、そう断じる前になされるべきことはまだまだあるはずである。今馬鹿らしくて投票にすら行かない人々や、ちゃんとした情報や説明を受ければ理解できるのに、耳障りのよい言葉に煙に巻かれている人々が投票すれば、少しはましになるかもしれない。また支持者の方には失礼ではあるが、旧社会党のように庶民に耳障りの良いことばかりを言い続けて来た党が消滅の危機にあることからも、将来に期待が持てなくはない。 これからの日本は、大失業社会、少子高齢化社会となることはほぼ確実である。どんなに人にやさしい政策を取っても苦難に直面する人はこれまでよりは増えるであろう。しかし、これまで安穏とした経済的に豊かな生活に惚けてきた人々も危機を認識すれば目が覚めるだろうし、特にこれまで政治に無関心であった若者も、これからは政策が自分の財布に直結してくるので関心を持たざるをえなくなってくる。その覚醒を早くするためにも現状維持ではなく痛みを伴い、新陳代謝を活発にするような政策が望まれるが、既成マスコミにその火付け役は期待できない。インターネットは文化面・経済面でばかり話題となるが、実は一番期待されるのが政治的な役割なのではないかと筆者は考え、このような政治的コラムを書くにいたったわけである。マスコミなどを頼らず、ネットを中心に活動する政党が早く生まれないかと心待ちにしている人も少なくないのではないか。 99/4/17(土)「自民党この不思議なる党」 先日の東京都知事選挙では周知のように石原慎太郎氏が圧勝し、自民党公認候補の明石氏は完敗した。それを受けて自民党内外より執行部の責任を問う声もあるようだが、それを真剣に受け取る人は少ない。何ごとも早々と忘れ去られる世の中ではあるが、石原氏が遠くない過去に自民党総裁選を戦ったことは多くの国民の記憶にはあるだろう。また今回の選挙で石原氏をサポートしたご子息は、金融問題などでよくマスコミに登場した自民党の国会議員である。自民党員にとっても、それ以外の多くの国民にとっても石原氏は「身内」と写っていることであろう。 石原氏を相手に知事選を戦った主なメンバーはよく見ればほとんど自民党と何らかの関係を持つ人々ばかりである。柿沢氏はもちろん、鳩山邦夫氏はザ・自民党とも言える鳩山一郎氏の血筋を引きマスゾエ氏もTVでのやり取りを見るに多くの自民党政治家と懇意のようである。数年前に遡ってみれば、この3人の誰が自民党公認で東京知事選に立っていてもそれほど違和感を持つ人はなかったであろう。 国会を目を移しても、「自民党的」な議員は国会を席巻している。前回の選挙までは、90年代初頭まで自民党を背負って立つとさえ思われた小沢一郎氏率いる新進党が自民党の最大のライバルであり、その前に日本新党で旋風をおこした細川殿も自民党から出たのである。そして現在の民主党の2本柱の片割れの鳩山由紀夫氏もさきがけ以前は自民党である。こうしてみると、大分前にひそかに自民党内で仕組まれた「日本席巻計画」が国民の目を欺く形で行なわれ、いつのまにか政界の大半を占めるに至ったのかとすら思えてくるほどである。 このようなことを言えば、小沢氏の周辺からも、鳩山氏の周辺からも「自分たちは自民党の悪いところを直すために飛び出したのだ」という声が聞こえてきそうである。なるほど小沢氏はルールに基づかない縁故・情治による政治に、鳩山氏は官僚依存や情報隠匿などに嫌悪感をいだいていることであろう。自民党の欠点はわかりやすい。しかし自民党の神髄(エッセンス)は何かを答えられる人は党員にも少ないのではないか。筆者が思うに「反共」という以外に自民党的な人々を結び付けるものはない。 そもそも政党というのは一定の思想・政治信条の下に結集するもののはずであるが、自民党を見る限りそれは当てはまらないようである。中曽根氏および石原氏の信条と、宮沢氏および加藤氏のそれとは水と油ほどかけ離れているであろう。自民党は保守と革新の単なる混在であり、党として保守でも革新でも中道でもない。自由主義でも平等主義でもない。党としての主義・主張がないのである。(経済的繁栄や福祉の充実などを公約するがそれは主義・主張と言うにはあまりに漠然としている)「既得権益の維持」こそが自民党共通の目的であるという皮肉な見方もあるが、それであっても何の思想もそこにはない。その考え方からすれば、あるのは数の論理を背景とした利害関係だけである。 更に不思議なことに、自民党には公な「失脚」というものがほとんどない。見えない権力争いはあるのだろうが、政権党の要職にありながら国の舵取りで致命的な誤りを侵しても総裁への道すら閉ざされない。また首相として任期を全うできなかったような人物でも党内には隠然とした力を保持しつづける。よって複数のちいさな権力が並立する。これを非常に原初的・動物的な生々しい権力争いと見る人もあるが、歴然とした敗者を生まない点が違うように思える。あえて言えば、この「敗者を生まない」というのが自民党のイデオロギーとして最も広く共有されたものなのだろう。 こう考えると、識者には評判の悪い最近の自民党の経済政策もよく理解できる。敗者を生まないのだから、まず失業は最低限にとどめる。そのためには、まず銀行は潰せない。ついで一般企業も潰せない。潰せない以上資金をつけなければならない。ゆえにまず雇用調整助成金、次いで銀行への資本注入、そして中小企業への信用保証となる。淘汰・再編ではなく、淘汰なき再編である。ゆえにゼネコン・不動産業の債務免除となる。純粋に経済の活性化を考えるのなら、投資関連税制を大幅に改めればよいのだが、それは強者をより強くするがゆえに好まれず遅々として進まない。 情報公開や法(ルール)に則ったガラス張り行政も、結果をいじれないので敗者を生む危険性がある。マークシート式試験ではごまかしはできないが、記述式や論文なら採点のさじ加減が効くというようなものである。年金だって同じことで、できるだけ個人の裁量を小さくしておいた方が結果に差がつかない。財政投融資は裁量行政の打ち出の小づちなので決して止めようとはしない。したがって小さな政府にはなりようがない。自民党内では、大きな政府と極大の政府のどちらにするかを議論しているようなものである。 とはいえ、好むと好まざるとにかかわらず、まだ当分はこの自民党的なるものが政治を支配し、自民党的なる経済政策が続くことになる。通常投資家は、経済的合理性や状況から見た必然性などで今後の政策を占うのだが、自民党的な思考は時に合理性を超越し、ファンダメンタルズ分析を無効にするような政策を実現する。この辺の構造が変わらない限り日本人の投資能力は向上しないと思うのだが、それを知ってか知らずか相場は景気回復を先取りするとやらで堅調な今日このごろである。 99/4/2(土)「続債務の株式化/成長株投資」 前回債務の株式化について書いたが、それにむけて具体的な動きが出ようという矢先に、さっそく柳沢金融担当大臣が注文をつけた。債務の株式化は安易な債権放棄につながりかねないし、債権の肩代わりに銀行がリスク資産である株式をこれ以上持つことはいかがなものかという発言であった。もっとも、これから議論をしようというときに駄目だというのではなく慎重にという意味である旨付け加えていたようだが、反対であることは明白である。 一見もっともなようで、これはおかしな発言である。安易な債権放棄は今回債務の株式化のスキームが浮上する以前から行なわれているし、そもそも債権は株式に転換されるのだから放棄というのはおかしい。またリスク資産云々については、全てロスとなるかわりに株式を保有するわけで、「ダメもと」の資産で最初から実質価値は極めて低い。さらにもしその株式が無価値になるような事態となるのなら、債権のまま保有していても回収はほとんどできないことになるだろう。元々すべての債権を株式に転換する必要はないのだから、ゼネコン等に「棒引き」してやる分を株式に転換し、残すべき債権は同じように残せばよいわけである。 どうせ数十年は返してもらえないような債権を株式に換えるのが問題になるのは、債権はその内容によって償却できるが、株式は時価以下で評価し償却できないからバランスシートが健全化しないという意見があるからであろう。しかし、これはあくまで形式的なことである。市場価格が不適正に高いのであれば、自己査定で債権のみならず株式も適正価格に置き換え、その実質価値を元に自ら必要と考える自己資本比率を達成することこそが健全な財務といえないだろうか。もちろん、簿価以下に値下がりした土地は時価に置き直すことが必要なことは言うまでもない。さらに銀行によっては収益還元方式で時価でも割高だと判断するような場合はさらに割り引いて土地を評価するところが出てきてもよい。その結果表面的なROEは下がるが、大事なのは実質ROEのおよびROAの方であろう。 成長株投資 最近の店頭株および小型成長株人気にのって、公開後まもない企業がとてつもない株価をつけることしばしばである。これらの多くは大幅増収・増益、最高益更新中であり一株利益も高水準なので、高株価であること自体は別におかしくないのだが、PER50倍/PBR5倍を大きく越えるような株価が続出すると、つい数か月前にPER10倍/PBR1倍を下回る株価が続出したとき同様ちょっと首をかしげたくなる。 もちろん、今そのような高い株価をつけている銘柄の大部分が破格の安値をつけていたわけではない。成長性の高い会社の多くはは財務体質など特に弱点がなければ「それなりに」値を保っていたように見える。それはともかく、ここで考えてみたいのは、今急成長中の企業のうちどれだけが今後5−10年にわたり急成長を続けることができるかということである。一見するに最近では業界・業態的に成長イメージが強く、しかもこの2−3期にわたって急成長している企業のほとんどが非常に高い株価をつけているようだ。もしこれらの企業のうち多くが中期的に今の成長を続けられるのであれば、100倍のPER・10倍のPBRも正当化できるのであろう。しかしながら、高度成長期は別にして最近では、日の出の勢いで出てきたものの株式公開後数年で業績頭打ちとなった例は枚挙にいとまがない。いかに玉石混交とはいえ、公開企業の多くはそれぞれの公開時点においてはそれなりの将来性をもって登場してきた。しかしながらそれらの会社の履歴を見れば、公開来スムーズに大幅増益を長年続けてきたものはほんの一握りであることがわかるだろう。公開時も今もスター的な会社であってもその間幾山河越えてきた会社も多い。儲かるということ自体、新規参入・競争激化を招くので、数期高成長を続けてきた会社が今後さらに数期にわたって同じような成長をつづけられる確率は余り高いとはいえないだろう。 難しい期待値の話を別にしても、5年先の収益まで織り込む水準まで買われてしまった株は、すでに相当のハンディキャップを背負っているということは理解に難くない。成長が続いて当たり前、もし一転減益というようなことが起これば一気に株価は1/2、1/3にまで下落するリスクがつきまとう。成長株を長期投資の対象として買うならば、それは中長期の収益トレンドと株価トレンドを比較して、株価が割安な時点で買うべきであろう。都合のいいことに、多くの新規公開株には長期の株価トレンドなどないし、また収益トレンドといえるようなものもない場合が多い。だからこそ、何とでも説明がつきとてつもない株価まで買われうるのであるが、投資対象としてリスクが高いことに変わりはない。そして株価位置が高ければ高いほど、リスクは増してリターンは減るのである。 ただし、事を短期の投機に限った場合状況は全く違ってくる。数か月という期間で見た場合、直前の期間に強い動きをした銘柄ほど今後もしばらくは強い動きをする傾向は確かにあるようだからである。ただしこの傾向を利用して利益を上げる手法は、頻繁に多くの銘柄の値動きをチェックし、動きの鈍ってきたものをはずし、新たに強い動きをするようになったものを入れるという作業を必要とするだろう。ゆえに売買はかなり頻繁になり、売買手数料もかさんでしまう。また高い株を好んで買うスタイルだと、外部環境の急変の際の価格下落リスクは非常に大きくなる。コンピューターを駆使した銘柄モニタリングを容易にでき、売買コストにそれほど気を配らずにすみ、かつ急変時にすばやくヘッジをかけることができるという点でこの種の売買は証券会社のディーラーをはじめとする大口のトレーダーに有利だと思われる。 長期の投資家および他に職を持つ投資家の多くは、株は安い時に買い高くなったら売るという単純な原理に基づいて行動した方が結果は良いものになると筆者は考える。 99/3/27(土)「債務の株式化」 昨日(3/25)の日経金融新聞一面、および本日(3/26)の日経夕刊トップ記事に、「債務株式化検討に着手」との記事があった。これは金融機関や取引先企業が経営が悪化した企業の債務を一部免除する変わりに株式を取得するもので、通産省と経団連が検討に入ったとある。さらに記事ではモラル・ハザード防止のために過剰設備廃棄や減資など株主責任を伴った厳格な再建計画を求めるとしている。自民党内の旗振り役の一人が、かの金融機関の土地含み益の自己資本算入や保有有価証券の低価法から原価法への切り替えなどの悪行(?)の張本人である大原氏であることが少々気になるが、これが実現されれば昨今の一方的債権放棄(債務免除)から大きな進歩だと言えるだろう。 この債務株式化(デット・エクイティ・スワップ)についてはちょうど一月前の当欄で触れたように、債務免除を受けた会社が「焼け太り」とならず、債権を株式に転換することにより会社の回復の恩恵を旧債権者が受けられるというメリットがある。一方従来の株主も減資または株式数の急増により持ち分が減るという負担をすることになる。当然会社は大規模なリストラをすることになるので、社員(経営陣)・株主・債権者それぞれが痛みを分け合うことにより再建への道筋をつけてゆくことになる。とくに債権者側は下手に債権放棄をするとみづからの株主により代表訴訟を起こされかねないが、もし債権が株式に転換されることにより十分なステークが残れば、それは合理的選択であり過失とはならないだろう。 法・税制面の整備により、もしこの債務の株式化が可能となれば、一方的な債務免除要求という「借金踏み倒し」は激減することだろう。その意味でこれはいわゆる「ゼネコン徳制令」とは似て非なる政策である。むしろ、徳制令が行われる前に債務株式化の制度を整えることができれば、中小企業経営者にはとんと納得が行かない政治的な債務棒引きを極力減らすことができる。その意味で今後どのようなスピードで法整備が進むか、そしてすでに債務免除が言われているゼネコンに対してどこまでこの債務株式化が適用されるのかに注目したい。もし金融機関の多くがゼネコンへの債権をこの3月期で一方的に放棄してしまうということになれば農協に続いて「やはり政治力があるものは特別扱いか」ということになるだろう。 株式に変えるよりも金融機関は不良債権はすっかりB/Sから落としてしまいたいのだと言われる方もいようが、公的資金の大量投入を受け入れる金融機関は債権者として何らかのステークを残して置くべきである。有価証券評価を原価計上させ、それを元に自己資本比率を算出するくらいであれば、転換の際に十分低い簿価になるように配慮してやれば少々の株式が債権から転換されB/Sに残ることは実質的には大した問題ではあるまい。それを大きな問題だとするのは、BIS基準に異様に拘るのと同じく悪しき形式主義である。 話がやや些細なことに偏ってしまったが、最近打ち出されたり、検討されたりする政策は昨年の今ごろと比べると相当まともになっては来ており、この債務株式化もその一例である。以前との一番の違いは、かつては山拓氏に代表されるようになんとか無理矢理株価を引き上げようとしていたのに対し、最近では株価が(実は人工的であるのだが)自然に高くなるような環境を整えようとしている点である。法人税引き下げ、超低金利、住宅取得促進税制、30兆円の信用保証枠設定や公共事業の前倒し発注などによる倒産防止などは単独では株価を大きく押し上げるインパクトはないが、総合的にはかなり景況感および企業業績を押し上げているはずである。そういう意味では最近の株価上昇にも一年前ほどの違和感はない。東証一部の株価が半ば人工的に支えられていた間もずるずる下げ続けていた2部、店頭株がより大きく上げているのも相場の自律性を感じさせる。 しかしながら、この上げが相場および日本経済の本格回復を意味するとの解釈は誤り(もしくは時期尚早)であろう。筆者は今の相場は前述の倒産防止政策と外国人の株買いで多少業況感がよくなったのにあいまって短期金利のゼロ化があり、好業績の店頭株および情報関連株を中心にミニバブルが発生していると解釈している。このミニバブルはデフレスパイラル回避のための必要悪と見ることもできるが、その必要性は即相場の持続性を保証するものではない。肝心なのは相場上昇で一息ついている間に必要な制度・構造改革ができるかということである。一部の企業を見ているとその兆しはあらわれてはいるようだが、まだ全体的にはモルヒネが効いているだけとの感が強い。 いちばんやっかいなのは、一時的な公共投資積み増しも中小企業への信用保証積み増しも目先の倒産を減らすが、同時に必要な淘汰を遅らせ、残るべき企業の体力を逆に削ぐ可能性すらあることである。筆者が思い付くだけでも、ゼネコンおよび設備工事、従来からの化学・機械メーカー、鉄鋼(特に電炉)、自動車部品、商社、銀行などはいづれも過当競争状態であり、優れた会社の経営努力だけではなかなか利益を上げられない状態にある。このうち製造業では設備廃棄などまだ対処のしようがあるが、非製造業では淘汰がなければ賃金・雇用へのしわ寄せくらいしか策がない。それをも避けようと各社が受注に奔走すれば結果は業界まるごとの地盤沈下である。さらに厳しいところほど債務免除を受けられたりすれば健全企業の相対的競争力はより低下する。 これまで債務免除への動きは特定企業からの働きかけを受けたと見られる政治家の主導で起ってきたように見えるが、これからはただ自分たちの支持母体であるからというようなレベルではなく、経済全体を見据えた上制度がつくられなければ中長期的な日本経済の復興には寄与しないだろう。債務免除が具体的にどのような形を取るようになるか、今後を占う指針として注目したい。 99/3/14(日)「リストラ・情報開示を先取りするには」 日本企業のリストラおよび情報開示が遅れているということはもう数年も言われていることであるが、遅ればせながらその両方とも動き出して来たようだ。小規模の店頭公開企業はともかく、一部上場企業ともなれば隠すこと自体がアナリストや格付け会社の評価を悪くする上、時価会計の導入や年金債務の公開、連結対象範囲の拡大などにより情報の隠蔽はより困難な、割に合わないものになりつつある。リストラについては単純明快に内部留保を使い果たしもはやリストラなくしては生き残って行けない企業が増えている。 投資家の側からすればリストラ・情報開示とも結構なことであるが、それが現実のものとなった時点では相当部分は株価に織りこまれてしまっているだろう。その内容が明らかになる前に、すなわち今の時点でリストラ効果が大きそうな会社、情報開示がプラスに働きそうな会社の目星を付けられればそれにこしたことはないだろう。 もちろん、まだ起こってもいないこと、公開されていないことを予想するのだからかなり大雑把なものにならざるをえない。場合によっては下手な予測などしない方がよかったということもあるだろう。それを承知の上で参考になりそうな指標を幾つか上げてみたい。 社員平均年齢と平均勤務年数:前者は会社四季報(日経会社情報)、後者は有価証券報告書を見れば書いてあるが、社員の勤務年数が長いほど企業年金(退職金)の掛け金不足の振れが大きくなってくる。さらに社員の年齢構成が上の方が厚くなっているような会社の場合問題は深刻である。重厚長大の歴史のある会社に多いと推測されるが、こういう会社の場合は情報公開以前には同じような業容の会社にくらべて多少割り引いた評価をすることになるだろう。しかし、今年・来年の資産運用環境が一変(好転)し、5.5%の予定運用利回りをいじる必要がなくなるようであれば話は少し変わってくるだろう。 社員一人当たり売上高:同じ売上げおよび利益が上がっている会社であっても、社員数が多い会社の方が大きな年金債務を抱えている可能性が高い。さらに社員一人当たり売上高が小さい企業には労働集約的な企業が多く、人減らし=企業縮小となりかねない。(もちろん例外あり)業界平均に比べてこの指標がかなり悪い企業には気を付けた方がいいだろう。 株価売上高比率(PSR):リストラによって一番収益が上がるようになる企業は、売上げはあるが経営効率が悪く利益が上がっていない企業である。最初から売上げの乏しい企業では新規事業がなければ収益のめざましい伸びは期待しずらい。ということで、株価に対して一株あたり売上高が高い企業ほど一般に業績好転余地があると見做すことができるのではないか。もちろんこれには例外がある。薄利多売の企業、商社・卸売業の場合はどうしても売上げが大きくなる。特に安さが売り物ではない製造業の会社でPSRが低ければリストラ候補といえる。非常に単純な指標ではあるが、投資指標として単独で用いた場合低PERや高成長率よりずっと有効であったというアメリカでの調査報告もある。ただ、財務内容が悪化し極端に売り込まれている株ではこの指標は低くなるのでその点注意は必要である。 含み資産(実質PBR):バブル期の経営が含み依存の拡大経営であったことから、ROEに代表される効率経営企業が人気であるが、これからリストラをしようという企業は当然これまで非効率経営である。ただ、リストラもそれなりにコストを伴うのでどれだけ大胆なリストラができるかは本当は体力の有無に大きく依存するはずである。(これまではどうにもならないところまで先伸ばしにする企業が多かったのでむしろ逆の傾向があるようだ。)他に時価会計の導入で自己資本が脹らみ見直される可能性もあるが、基本的には持てる資産を生かして利益の出る体質になるかが肝心であろう。ただし、これからは資産を売却し、会社を清算し株価以上の資産を株主に還元するというケースも出てくるかもしれない。株価数千円〜数万円の超人気企業はどうもという方にはこういう見方もあるということを紹介するのが今日のコラムの目的だが、本当は確率に任せておくのではなく株主が率先して「儲かる企業」へのリストラを要求してゆけばいいのである。とはいえ、個人株主だけでは力不足は否めない。とりあえず年金および投信関係者の方々、委託者利益の極大化を念頭に是非ご協力をお願いしたい。 99/3/6(土)「短期金利ゼロに思う」 今週は日銀の低目誘導の下に短期金利は極限まで低下し、週央には無担保コール翌日物で0.02%で取引が成立した。手数料を抜きにしてもこれは日利としても年利換算7%ほどにしかならない冗談のような金利である。こんな金利でも多少なりともリスクがある金を出す方の気が知れないが、逆に見れば短期ではほとんどタダで金が借りられるということである。インターバンク市場ほどではないが、例の中小企業向け貸し渋り対策資金20兆円のおかげで金融機関以外も低利での資金調達が容易となっているようだ。 先日の日経金融新聞のスクランブル(る〜さ〜!元委員長も登場)では、店頭株急騰の一因として、枠一杯資金を手当したものの差し当たって用途のない資金を持つ経営者が動きだした店頭株へ資金を投入している可能性を指摘していた。安定化資金で株投機などもってのほかとの世間の声が聞こえてくるが、もとより中小企業経営者の多くは投機的気質を持ち合わせているので、あのような条件を与えればそうなっても不思議ではない。(もっとも同欄で述べられているようにゴルフ会員権まで買っているとなれば私も穏やかではないが)銘柄選択にもよるが、多少なりとも公的資金の注入を受けながら、貸出を減らすかたわら金利1%以下で財政破綻寸前の日本政府の長期債を買っていた金融機関よりましだと言えなくもない。 本当にそのような事態が起こっているか筆者は知る由もないが、これだけ業績下方修正と持合い解消売りの中で株価がまずまず堅調に推移していることを見ると、行き場のない金が株式市場に流入し始めているように思われる。今回の上昇局面では買いは高成長の人気銘柄にとどまらず、地味ながら資産内容・収益水準とも優れた幅広い銘柄に及んでいる。見方によっては「低PER・PBR」というテーマに沿ってホットマネーが買いまくったと見做せなくもないが、今後数週間〜数か月の株価推移を見ればおおよそ買いの性格はわかるだろう。 最近マンションやパソコンの売れ行き好調が伝えられているが、買う金は民間にあるのだから先のことを考えなければいくらでも買えるのである。しかし、将来の収入はあまり期待できないし、社会保障負担は重い。反面銀行や郵便局に預けてもほとんど金利はつかないし、海外投資は為替変動のおそろしさをこの半年見せつけられたばかりである。資産を国内でそれなりの利回りで運用できる場所があればとの思いは少なからぬ人々の頭にあるのではないか。 それでもバブル崩壊以降今までは物価は下がる一方で、お金に利息など付かなくとも目減りどころか立派に使い手は増えてきたのである。しかし、日銀が方針転換などでもし物価が上昇に転じそうだとの見方が広がれば、人々は「貯め込む」以外の生活防衛が必要となる。そうなってはじめて大衆の投資への関心が現実的なものとなり、株式市場が賭博場ではなく預金とならぶ資金運用の場として捉えられるようになるのではないか。 今の日本社会においての大きな問題に、一般庶民と企業の利益相反がある。それは「労働者が取るか、企業が取るか」という春闘の考え方である。不況から脱するには企業が健全化しなければならないのに、「不況なときほど企業は払って庶民の懐を潤せ」という労働組合の主張は少なからぬ共感を呼んでいるようである。しかし、そんなことを続けてゆけば今度のゼネコンや銀行ではないが結局公的資金(つまり国民の税金)で企業債務を帳消にしてやるしかなくなってしまう。それよりも、給料はほどほどにして企業には適度に儲けてもらって、そのかわりに自分が株式(および投資信託)を所有して一緒に恩恵を受けるようになれば利害関係が一致し、よりスムーズなシステムとなるのではないか。 筆者の親友に公認会計士をしているものがいるが、彼がつねづね言っていることに日本人の簿記、会計知識のなさがある。彼はなにも厳密な簿記の仕方や、貸借対照表や損益計算書の構成要素を事細かに知る必要があるなどと思っていない。ただそれらを見ておぼろげながら会社の状態がわかればいいというのである。そういう基本的な知識があれば、現在の家計と企業、国のB/Sをちらっと見るだけで無用な政策論争が避けられるし、必要な改革は進むだろうと言うのである。ただいくら「べき」論を言っても必要ないこと人は身に付けようとしない。必要に迫られて、つまり自分で多少なりとも投資に関わってはじめて身につくものであろう。 目下のところ日銀は意地になって国債大量買い入れ・引受けを拒んでいるが、調整インフレは上記のように庶民にも資産運用を強いるという副作用がある。筆者はその副作用が僥倖をもたらすと考えるものである。 |
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